天一国食口礼拝 朴普煕先生説教 2008年12月21日
天一国食口礼拝 2008年12月21日 朴普煕先生の説教 “私たちの生涯における3つの奇跡”(Daum Cafe MBUの掲載記事を翻訳、整理)

韓国語の原文はこちらから↓(???? ?? ? ????.)

http://cafe.daum.net/chdmbu/68cZ/237

尊敬する堂会長様、祝司長様!愛する兄弟姉妹の皆様!この度、堂会長様が礼拝の説教を私に任せられました。この場は、真の父母様が立たれた場であり、堂会長様が立たれた場です。そのような貴い場所に立つことができただけでも、私は本当に光栄に思います。

愛する兄弟姉妹の皆様!今日申し上げる話の題目は、“私たちの生涯における3つの奇跡”です。

食口の皆様!私たちは皆、世界教会の長として、また、ここ本部教会の堂会長として、文亨進牧師様と李妍雅祝司長様をお迎えすることができたことを、大きな福と思わなければなりません。

実を見て、その木を知る

“実を見て、その木を知る”(マタイ7章16〜18節、同12章33節)という言葉があります。真の父母様の直系の子女様である亨進様が、教会の最も底辺である末端の麻浦教会の牧会者として来られるとは、誰が夢にでも想像したでしょうか?それは私たちだけが驚いたのではなく、世界が驚いたのです。

堂会長様が素朴な改良韓服を着られ、麻浦教会の講堂に立たれたその時、堂会長様は既に世界の人々の心を魅了し、征服されたのです。“これはどういうことか?あの方は真の父母様の息子なのに!”と、感嘆の声をあげなかった人はいませんでした。

また、妍雅様はどうでしょうか?妍雅様が教会に遣わされたことは私たちにとって、とてつもなく神秘的な祝福でした。妍雅様が壇上に立たれ、その晴れ渡った清い微笑みで聴衆を見つめれば、その瞬間、妍雅様は完全に聴衆をとりこにしてしまいます。その、心やすらぐ美しい微笑みに、聴衆はただ心を奪われてしまうのです。

ですから、半世紀の間、真の父母様の悪口ばかりを言っていた世界の言論が、このお二方の純朴さと晴れ渡った清い品格に、皆、溶けてしまったのです。お二方が壇上に立たれてから、たった一つの新聞も、放送も、雑誌も、否定的な記事を出していません。お二方はただ、そのままで天国人であられ、救世主となられた真の父母様を誰よりも雄弁に証していらっしゃるのです。

既に、私たち統一教会の未来は結論が出ました。文亨進堂会長様、李妍雅祝司長様は、ただそのままで、天国の伝道師であられます。ですから、私たち皆が、天国人になれないということがありますか?“アージュ”ですか?ですから、“天国がどこか尋ねるな”というのです。天国は正にここです。“アージュ!”そうではないですか?

マタイの福音書5章には、イエス様の山上の垂訓が出てきます。そこには、このようなみ言があります。“心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。(マタイ5章8節)”、“柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。(マタイ5章5節)” 堂会長亨進様、祝司長妍雅様は、神様を見られたのであり、地を受け継がれたのです。

私は、アメリカなどで大衆伝道師として活躍した著名なアンドリュー・マーレー博士の名言を忘れることができません。“驕慢は死亡であり、謙遜は生命である。驕慢は地獄であり、謙遜は天国である。” 堂会長様と祝司長は、美徳の多い方であります。心情的な長所を多く持たれていらっしゃいます。私たちはお二方の柔和で謙遜な姿に天国を見つけ、学ぶのです。

私たちの生涯における一つ目の奇跡

それでは、本論に入ります。私たちの生涯における3つの奇跡のうち、第一の奇跡は何でしょうか?それは正に、私たちが生きてメシヤ、再臨のイエス様であられる真の父母様に出会ったことです。

このような奇跡が、他のどこにありますか?静かに考えてみてください。いったい私たちにどんな福があって、この悠久な歴史、億千万年流れている歴史の中で、救世主、真の父母様が地上に来られる時にぴったり合わせて生まれたというのでしょうか。主が来られる時に合うというのは、ロトの宝くじに当選するどころの話ではありません。

過去2000年のキリスト教史の中には、どれほど偉大な信仰者が多かったでしょうか。どれほど多くのクリスチャンたちが、来られる主を渇望してきたでしょうか。どれほど多くの殉教者たちが出たでしょうか。彼らの祈りは、再び来られる主に会わせてくださいというものでした。

クリスチャンたちが教会で明け方から火を灯し、何と祈ってきたのでしょうか?“主よ!早く来てください!私が死ぬ前に、主に出会わせてください!”ということでした。また、イエス様の弟子たちも、自分たちが死ぬ前に主が再び来られると信じていました。ところが、そのようなとてつもない福を、私たちが受けたのです。殉教者たちの信仰に比べれば、この場に立っている朴普煕の信仰などは、信仰と呼ぶこともできません。恥ずかしい限りです。

このような幸運がどこにありますか?このような奇跡がどこにありますか?来られる主は、誰もが会うことのできる方ではありません。今、ソウルの中だけでも、数万人の牧師が説教をしています。しかし、彼らの目には、主が見えないのです。ふさがっているのです。しかし私たちは、二つの目をしっかりと開けて、来られる主を見たのです。

昨日は英語で説教をしたのですが、私は“We have seen the coming of the Lord.”と話しました。私たちは、来られる主をこの目でしっかりと見たのです!食口の皆様、このような感激的な説教をすることができる牧師が、キリスト教会にいますか?来られる主は、柔和で、謙遜な目を持った人だけに見ることができます。私たちが堂会長様と祝司長様に似て、柔和で謙遜であるがゆえに、主を見ることができたのです。

私たちの生涯において真の父母様に出会ったということ、これは奇跡であり、何とも換えることのできない、私たちの貴い財産なのです。

私たちの生涯における二つ目の奇跡

食口の皆様!私たちの生涯における、二つ目の奇跡は何でしょうか?それは、私たちが真の父母様の祝福を受けたという事実です。もちろん、ここにはこれから祝福を受ける方たちもいることでしょう。

では、祝福とは何でしょうか?原罪を清算することです。歴史を通して、誰もできなかった原罪清算は、ただ真の父母様の能力によってのみ、成されるのです。これは、再臨主がこの地に来られた目的です。

私たちは皆、真の父母様の祝福を受け、原罪を清算しました。原罪を清算するということは、私たちが皆、エデンの園において創造されたばかりのアダムとエバの位置に帰るということを意味します。私たちが堕落していないアダムとエバの立場に立つということです。

ところで、アダムとエバはそのまま天国に行きましたか?いいえ、堕落したでしょう。罪のない、純潔なアダムとエバは、堕落する前は本当に天真無垢でした。傷跡一つ、ありませんでした。ところで当時、アダムとエバには、責任分担がありました。絶対信仰、絶対愛、絶対服従で蘇生期、長成期、完成期の成長期間を通過しながら、成長しなければならなかったのです。

私たちも同じです。“私は祝福を受けた。私は天国の恵み与った。天国は既に、私のものだ”、このように考えるのは、すぐに堕落する危険があるという兆候です。歴史的に、アダムとエバは長成期完成級で堕落してしまいました。しかし私たちは、アダムとエバが堕落した地点を越え、完成期を通過しなければならないのです。神様の直接主管圏まで行かなければなりません。

 ところが、それは真の父母様に侍ることによってのみ、可能なのです。そこで初めて、私たちは天国人になることができるのです。祝福を受け、自分の責任分担を果たさなければなりません。祝福を受けたからといって、天国が自動的に私たちに近づいてくるのではありません。これが、私たちが成約時代の食口として心に銘じなければならない戒めです。

祝福を受けたならば、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を出発し、ために生きる真の愛を実践しなければなりません。これが正に、私たち祝福家庭が行かなければならない完成へ至る道です。

私たちの生涯における三つ目の奇跡

そして、それだけが全てではありません。私たちの生涯には、三つ目の奇跡があります。それは何ですか?正に、私たちが人類歴史の最後の聖殿、真の父母様が建てられる世界平和統一聖殿「天福宮」建築に参与しているということです。この歴史的な聖殿に、永遠に私たちの名前が刻まれる機会が与えられています。

世界平和統一聖殿「天福宮」は、成約時代にたった一度だけ造られる、神様の聖殿です。「天福宮」は天一国の出発、地上天国の象徴的な中心であり、真の父母様は実体的な中心です。

真の父母様は、信仰の祖国、大韓民国の首都ソウルに21万人聖殿の建設を、既に宣布されました。平和の王になられた真の父母様に、65億の人類、五色人種が皆、共に礼拝を捧げることができる世界平和統一聖殿を建てられる摂理が正に、この時代において私たちの肩にかかっています。これは正に、私たちの生涯における三つ目の奇跡であり、私たちの使命であるのです。

昨日、堂会長様が私を呼ばれ、「天福宮」に対するガイドラインを話してくださいました。「天福宮」には12の門があり、それぞれの門ごとに、宗団の始祖が祭られています。例えば、仏教だとすればお釈迦様の像が祭られているのです。世界の宗教人たちが、各宗団の門を通って入り、聖殿の中心に集まれば、皆、天の下の一家族になるのです。

私は、堂会長様が12の門から入って一家族になるということを啓示で受けたという話を聞き、本当に感動しました。最近、新聞を見ると、仏教のお坊さんたちがイエス様の誕生をお祝いしているという記事がありました。これは、どういう兆候ですか?世界の宗教人たちが、イエス様の誕生をお祝いするということは、再び来られた再臨主、真の父母様に侍る準備ができたという証拠です。

食口の皆様!考えてみてください。私たちは生きて、歴史的な聖殿「天福宮」建築に同参しています。さらに重要なことは、真の父母様の在世時にこの聖殿を建築するということです。文國進理事長様と文亨進世界会長様に侍り、世界の統一信徒たちが「天福宮」建築の先頭に立っています。ところで、「天福宮」は私たちの力だけで建てられるものではありません。世界の全ての宗団が参与しているのです。世界の全ての企業が参与しているのです。

しかし重要なことは、真の父母様はまず知った統一食口たちが、世界の全ての宗団の前に模範を見せなければならないということです。このような使命と祝福が私たちに与えられているのです。

肉身の父母の名前を「天福宮」に

愛する兄弟姉妹の皆様!私は、肉身の父母に多くの不孝をしてきた人間です。母、父、どちらの臨終も見守ることができなかった不孝者です。私には恨がありました。私には願いがありました。肉身の父母のために、何かをしてさしあげたかったのです。ところで、そのような時に「天福宮」の摂理がやってきました。私はどんなことをしても、私の父母の名前をこの天福宮に刻んでさしあげたかったのです。これが、息子としてできる最後の孝行だと思いました。

忠清南道 牙山郡 道高面に行くと、「カムバッコル」という村があります。そこに、私の父母が残して行った故郷の家があるのです。私と弟が育った、“私の暮らした故郷”です。ところで、私はこの故郷の家を、「天福宮」の一部分にすること以上に、霊界に行かれた父母を光り輝かせる道はないと悟りました。それで妻と相談したのですが、“お父さん、どうやってそのような奇抜な発想をしたのですか。お父さんは最高です、ハレルヤ!アージュ!”と叫んでくれました。私がそのような称賛を妻から受けたのは、これが初めてです。

長男の朴ジュンソン君とも相談したのですが、彼も“ハレルヤ!アージュ!”と言ってくれました。このように、家族会議において満場一致で通過したのです。

また、天が助けてくださり、故郷の家の売買が迅速に成されました。もともと僻地の山里の家ということもあって、金額がたいしたものにならないのが恨でしたが、税金を払って残ったのが2億5362万6070ウォンでした。

それで去る12月3日、統一財団を訪ね、全額を「天福宮」建立基金として文國進理事長様に献金しました。そして、本部教会に来て、文亨進堂会長様に再び報告をさしあげました。皆とても喜んでくださいましたが、一番嬉しかったのは、私と妻、それから息子でした。これで霊界に行かれた父母に、少しではありますが孝行することができたと思ったのです。

文國進理事長様と文亨進世界会長様は、私の肉身の父母の名前を「天福宮」に刻むと約束してくださいました。父母が生きている時に孝行することができませんでしたが、肉身の父母の名前が「天福宮」に刻まれ、後孫万代、永遠にその名前が残されるでしょう。子孫がおじいさん、おばあさんの名前だと言いながら見つめることでしょう。これよりも大きな栄光と喜びがどこにありますか?“アージュ!”ではないですか?これから「天福宮」は私の故郷の家です。「天福宮」に行くことが、故郷に帰ることなのです。そこで喜ばれている父母に出会うことができるでしょう。

さらに、國進様と亨進様は、このことを真の父母様に報告してくださるとおっしゃいました。霊界に行った私の父、母を真の父母様が記憶してくださるというのです。これ以上、大きな栄光がどこにあるでしょうか。

私の幼少時代

今、皆様がご覧になっているこの写真が、私が幼い頃に撮った唯一の写真です。私は“間抜けな田舎の少年”でした。そうでしょう?しかし、私の父母は、この愚かな田舎者の少年を本当に愛してくださいました。

この写真は、故郷の家の縁側で父母と一緒に撮った唯一の写真です。私はこの時、田舎の学校の教師をしており、前に座っている少年が弟の朴ノヒです。彼も今日、この場に来ています。もう頭がすっかりと禿げて、とても味のある老人になってきています。私とは11歳の差があります。

私の家は、本来儒教の兩班の家系であり、私の父は大地主の4番目の息子として生まれました。しかし、日政時代に土地改革が実施され、地主の土地は全て小作人の手に渡りました。私の父母は生活をするために、田んぼ5マジギ(約1000坪)をもって直接農業をしなければなりませんでした。しかし、父も母も農業について知らなかったのです。私は農業学校に進学し、農業を学んで父母を楽にしてさしあげなければならないと考えました。

しかし好事魔多しというように、私が農夫になり、これから孝行をしようと思っていた矢先に、徴兵令状が飛んできたのです。大韓民国の徴兵制度は1930年生まれから実施されたのですが、私は1930年生まれだったのです。

身体検査を受け、各種の合格印を押されました。そして“これで軍隊に行かなければならないのだなぁ”、このような思いが沸くや否や、“もうどうにでもなれ!どうせ軍に行かなければならないのなら、士官学校に行こう!”このように決意したのです。

当時、田舎の学校の教師だった私が、士官学校に入るということは、それこそ空の星を取るくらい難しいことでした。ところが、その難しい関門を通過することができたのです。

6.25動乱と天の保護

1950年6月1日、陸軍士官学校に入学しました。とても希望に満ち溢れていました。軍事訓練が始まり、M1小銃8発を撃ってみました。弾をくれればもっと練習をしたのですが、余分にはくれませんでした。そんな中、士官学校に入った25日後に6.25動乱が起こりました。当時19歳だった私は、その日をもって軍番も階級章もないまま、人民軍の戦車を肉弾で防ぐ第一線の軍人になり、抱川の北方に出撃しました。

学校から非常招集を受けて前線に移動したのですが、山のように積んであったM1小銃の弾を好きなだけ背負っていけというのです。私は銃を思う存分撃つことができるということで、遠足に行くような気分でした。トラックに乗って北方に行くと、避難民が洪水のように溢れながら下ってきました。そして皆、軍人を見ると、合掌をしてお辞儀をするのです。大変なことが起こったのだなぁと思いました。それから1時間後に、人民軍の戦車に出遭いました。しかし、私たちにはM1小銃しかなかったのです。手榴弾一つも、迫撃砲機関銃もありませんでした。小銃で戦車と戦ったのです。我々の隊は負傷し、死人を出しながら、その場所を守りました。3日間で330人の入学者のうち、89人が戦死し、100人あまりが負傷しました。ソウルが陥落したという知らせを受けるまで、士官生としての誇りを持ちながら、その場所を守ったのです。

 

それから2年間、私は一線で小隊長、中隊長として、東部前線から白馬高地に至るまで、生き地獄を味わいました。ところで、私が白馬高地9師団28連隊所属中隊長だった時のことです。白馬高地は当時、最も熾烈な戦場でした。しかしその時、不思議なことが起こったのです。マッカーサー元帥が、李承晩大統領と話し合い、韓国動乱の勝利のために、韓国の将校たちをアメリカに連れて行き、訓練をすると決定したのです。その時、150名がアメリカに送られました。

28連隊からも3人を選んで送るということになったのですが、連隊長が私を呼び、“朴中尉、君がいかなければならないね。私たちの連隊から君がいなくなれば、残念だし、寂しいだろうが、君のような将校が早く教育を受けて、この戦争を勝利に導かなければならない”というのです。そうして、私はアメリカに行くことになりました。

その後、28連隊は白馬高地で熾烈な戦闘を遂行しました。18,000名が戦死しました。連隊長を始め、全ての将校が戦死しました。ただ一人の将校だけが残ったのですが、それは私が中隊長だった時に連れていた、金ウンギという小隊長でした。彼はとても勇敢な英雄となりました。

私がこの話をする理由は、私が選ばれてアメリカに行かなければ、この場にいなかっただろうと思うからです。戦争中に、そのようなことが一度や二度ではありませんでした。当時、私は神様を知ることができませんでしたが、神様が私を保護してくださったのです。

結論的に、私は生きて真の父母様に出会い、天の摂理のために働くことができました。戦争で死ななければならない運命だったにもかかわらずです。私には、感謝しかありません。今の私の命は、私のものではありません。

そうして、2年間戦争をしてアメリカに行ってきた後、家に行くことができる機会がありました。もちろん、アメリカに行く前にも、父母が生きていらっしゃることは知っていましたが、故郷の家に行く機会がなかったのです。

2年ぶりにやっと故郷を訪れ、父母にお会いすると、父母はすっかり老けておられ、私は顔を上げて見ることができませんでした。息子が生きているのかどうかも分からなかった母は、私をつかんで痛哭しました。その日から腕をまくり畑に出て、父母を助けたかったのですが、私は既に国からの召命を受けた身でした。陸軍歩兵学校教官として、出発しなければなりませんでした。

その時、私は陸軍の大尉でしたが、家はとても貧しかったのです。父母を故郷において離れる心情は、はらわたが切られるようなものでした。その時が1952年ですが、まだ原理も真の父母様も知らない時だったので、どこに向かって祈祷をすれば良かったのでしょうか!

朝、道高山に登り、日が昇るのを見て太陽に祈祷をし、夕方には裏の山に登って山の神霊を呼んで敬礼をし、祈祷しました。父母の健康を祈ってから出発する瞬間は、胸が張り裂けるような思いでした。出発する息子を見ながら、母は“ポーヒ!家の心配をあまりするな。お前は国の召命を受けた身なのだから、軍人の本分を果たしなさい!”と話してくださいました。

父と母の昇華

歩兵学校の教官として勤務して、まだそれほど経たない時でした。ある日、突然「母親死亡」という電報が来たのです。“いや、そんなはずがない!これは私に来た電報ではない!私の母はまだ49歳だ。こんなはずがない!”といくら否定し、目をこすってみても、「朴普煕大尉の母親死亡」と書かれていました。空が落ちてきたようでした。

故郷に駆けつけると、家の中は涙の海となってしました。母は過労に過労を重ね、臼を搗きながら卒倒したというのです。母の最後の遺言は、“医者を呼ぶな”ということでした。倒れながらも、貧しい家に負債を残してはいかないという母の心情!その時母は、49歳でした。私は薬の一つもあげられずに、若い母を失いました。今もその母のことを思えば、涙が溢れます。

私の母は息子が宗教でした。私が母の宗教だったのです。息子がうまくいくのであれば、母は何でもしました。仏堂にも行き、教会にも行き、城隍堂(土地や村を守ってくれる神が祭られている所)にお椀を持っていて清水を供え、夜を徹して祈祷をされました。

そうやって息子がうまくいくことだけを願った母!その母のおかげで、私は今、79歳にもなっているのです。そのうち、51年間真の父母様に侍り、今もこのように働くことができるとは、本当に海のように広い母の恵みのおかげです。

私の父は、私が1957年に教会に入教したことを知り、原理の本をくれと言いました。それを耽読した後、私を見て、“お前がその教会に行ったのは、本当によくやった。偉大な方に会ったのだなぁ”と言ってくれました。父は私がアメリカにいる時、ソウルに上がってきて、真の父母様に敬拝を捧げられました。

父が1967年、享年61歳で亡くなった時、私は真の父母様の命を受け、リトルエンジェルスを率いてアメリカを巡回公演していました。到底、昇華式(当時においては葬式)に行くことはできませんでした。この事情を知られた真の父母様は、私の父の昇華式を準備してくださり、その費用を全て下賜してくださいました。その広い海のような恩恵を、どうして忘れることができるでしょうか!

肉身の父母が生きている間、私は不孝をしました。しかし、「天福宮」に私の父母の名前が刻まれることを思うと、できなかった孝行をするようで、とても嬉しいのです。私ももう、79歳になりました。いつでも神様が呼ばれれば、霊界に行かなければなりません。私が霊界に行って父母に会えば、“ポーヒ、お前は本当によくやった!ありがとう”、この一言を聞くことができるでしょう。それが私の残された人生の喜びです。

不可能はない

食口の皆様!私は今回のアメリカ大統領選挙を見て驚きました。バラク・オバマという黒人が大統領に当選したのです。黒人は、約400年前からアフリカの地より、まるで動物のように扱われ、売られてきました。ところが、その黒人がアメリカの統治者になったのです。

ですから、やはりアメリカは偉大な国です。今回の選挙で白人の61%が黒人のオバマに投票をしたといいます。私は覚えています。真のお父様に侍ってアメリカを巡回した時、お父様はシカゴで、人種の和解のために、アメリカに混血児の大統領がたくさん出てくるだろうと予言されました(1975年10月24日、み言選集80巻263ページ)。

お父様は未来を見つめられる方です。アメリカの記者がお父様に、アメリカで最も尊敬する人物は誰かと尋ねた時、お父様はマーティン・ルーサー・キングジュニア牧師だと答えられました。お父様は人種の壁を壊すために人生を捧げて働いてこられた方です。そしてその御旨が成される時が来たのです。

私は今回の大統領選挙で、“不可能はない”という教訓を得ました。何ヶ月か前にしても、アメリカで黒人大統領が出てくるというのは、夢のような話でした。不可能な話でした。しかし今は、このように不可能だと思ったことさえも、成し遂げることができる時代になったのです。

食口の皆様!私たちは世界最高の、歴史に一つしかない「天福宮」を建設し、天に奉献しようとしています。私たちは本当に、この摂理に総力を傾けなければなりません。「天福宮」は私の家であり、皆様の家です。「天福宮」に皆様の名前、皆様の父母の名前、皆様の祖父母の名前を刻んでから霊界に行くと考えてみてください。私は肉身の父母の名前を「天福宮」に残すことができるという今回の出来事を通じて、どれほど嬉しかったか分かりません。

食口の皆様!私たちは成し遂げることができます。“できない”という思いの壁さえ越えれば良いのです。共に“ハレルヤ、アージュ!”と叫んで、話を終わりたいと思います。