薫淑様 天一国食口礼拝 2008年6月1日
天一国食口礼拝 2008年6月1日 薫淑様の説教 “神様の御旨の中の私のバレエ人生”(Daum Cafe MBUの掲載記事を翻訳、整理)

韓国語の原文はこちらから↓(???? ?? ? ????.)

http://cafe.daum.net/chdmbu/68cZ/170

食口の皆さん、いかがお過ごしですか?6月1日、安侍日であり、新しい月が始まる最初の日に、食口の皆さんにお会いすることができてとても嬉しいです。2008年度が始まったのが昨日のようなのに、もう6月が始まっています。私が歳をとりながら、加速度がついたのか、月日がもっと早く過ぎ去っていくようです。

今日、本部教会に来ながら、本部教会が心の安息所であるという思いが湧きました。一週間、社会で一生懸命活動して本部教会に来ると、本当に心が安らぎます。家庭盟誓を朗読し、説教のみ言を聞けば、どんな厳しい世間の波風も克服し、打ち勝つことができる力が湧きます。神様と真の父母様の愛は全てのものを許し、包んでくださる、暖かい抱擁のようであり、み言は私たちを保護してくれる鎧です。

私はバレエをしながら、世界的な舞台にたくさん立ちました。しかし、そのような舞台よりも、今日のこの場に立つことが、より難しく感じます。本部教会が真の父母様の愛と精誠が溶け込んでいる神様の聖殿だから、そのように感じるようです。食口の皆さんの前に立てば、自然に頭が下がり、自分自身を振り返るようになります。

礼拝を一週間準備するのもこのように大変なのに、毎週この場に立たれる文亨進世界会長と、今回祝司長の使命を受けられた妍雅様はどれほど苦労が多いだろうか、またそれぞれの教会の祭壇を責任持っている牧会者の皆さんがどれほど大きなことをされているのか、少しは感じることができます。

亨進様から今週の説教をお願いされ、この一ヶ月間、悩みました。率直に言って、この場は私にとって心の重荷でした。一ヶ月間ずっと、心が落ち着きませんでした。私は亨進様のように牧会者でもなく、生涯、バレエの動作で表現をしてきたため、説教をうまくする自信もありませんでした。だからと言って、6年前にバレエの現役を引退した私が、この狭い壇上で、バレエで私の気持ちを表現したとしても、あまり見栄えが良くないと思います。どんな主題で説教をするか悩んだ末に、それでも私がよく知っているバレエと信仰的な生き方についてお話しすることが良いと思いました。

私は1984年にイーストガーデンで約婚を受け、仁進様ご夫妻と一緒にベルベディアで祝福を受けました。その時の記憶が、昨日のことのように鮮やかに残っていますが、父母様の家庭に入ってから、もう24年という歳月が流れました。私ももう、50歳を見つめるおばさんになりました。

真の家庭の嫁という立場は、歴史的に、摂理的に、とても重要な使命がある立場です。もし私が24年前にそれを知っていたならば、自分の不足さを思って、真の父母様の家庭に入るという考えを持つことはできなかっただろうと思います。当時、私はとても幼く、ただ真の父母様の願いに従順でなければならないという思いで祝福に臨みました。

当時、真の父母様が私を見つめられる時、どれほど幼く、不足な姿に見えたでしょうか?しかし真の父母様はこの24年間、私を常に愛してくださり、信じてくださいました。心から感謝いたします。見えるところ、見えないところで私を守ってくださった興進様!また、私の温かい垣根となってくださった真のご家庭!最後に、興進様家庭のために祈祷と精誠を惜しまずに捧げてくださった食口の皆さんに、この場を借りて感謝の気持ちを伝えます。

私の人生を短く要約するとすれば、“信仰”と“バレエ”、この二つの単語で表現することができると思います。“バレエを信仰のように練習しなければならない”という言葉があるのですが、私にとって、信仰とバレエはお互いに離すことのできない、大切な、人生そのものです。

私がバレエを始めたのは7歳の時でした。私はアメリカのワシントンに住んでいて、妹と一緒にバレエを始めました。家の近くにある教会の中の、とても小さなバレエ学校に通いました。教会の聖殿で、椅子を全て片付け、バレエの練習をすることができる棒を両側に設置して教習をするところでした。母が運転をし、私をバレエ学校に連れて行ってくれたのですが、私がバレエを最初に始めた学校が教会だったということも、私にはとても大きい意味があります。

バレリーナの大部分は、生まれながらの踊り子たちです。踊るために生まれた人たちです。才能もそうですが、踊りに対する情熱もそうだし、バレエをしないではいられない人たちという印象を受けます。しかし私は、生まれつきの踊り子ではありませんでした。身体的にバレエのための理想的な条件を備えていたわけでもなく、舞台の上で数百人の前で大胆に踊ることができる性格を持っているわけでもありませんでした。また、運動神経が飛び抜けていたのでもありません。

私は幼い時、趣味でバレエを始めましたが、バレエを続けようとは思っていませんでした。私の思いと意志の通りに生きることができるのならば、私は早い段階でバレエの道をあきらめてしまったと思います。しかし私の意志とは関係なく、私は運命的にバレエの道を歩まざるを得ませんでした。他のバレリーナのように、踊りたくてではなく、信仰によって、私はバレリーナになりました。また、バレリーナとしての生活をしながらも、信仰がなければ、おそらくその道を最後まで行くことができなかったでしょう。

 ユニバーサルバレエ団が来年には25周年を迎えます。25年間、真の父母様の愛と恩恵、そして後援によって、ユニバーサルバレエ団は世界的なバレエ団として成長することができました。しかしバレエ団が創団された1984年度は、今とは状況が全く違いました。とても難しい状況でした。韓国のバレエ界は国際的なバレエ界との交流がほとんどなく、バレエの水準もとても低いものでした。それこそ、韓国はバレエの不毛地でした。

当時、踊りを踊る人、ましてやバレリーナを見つめる視線は、良いものではありませんでした。韓国舞踊に比べ、バレエは露出が多く、身体がとても露わになる衣装です。今はバレエがとても大衆化されましたが、84年当時はバレエがとても疎遠な文化であり、バレリーナの衣装に対する偏見もありました。

それで、当時、娘にバレエを習わせる私の母も、とても悩んだといいます。母の友達は、“娘がバレエをうまく習っているのか?”とは尋ねず、“いったい、いつまでバレエをさせるのか?”と尋ねたといいます。特に、母は祝福を前にして、“いったいバレエをする嫁を願う父母がどこにいるのか、バレエをする妻を持ちたがる男がどこにいるのか?”と考え、たくさん悩んだといいます。

私の父はバレエに対して賛成しましたが、母は私がバレエをやめればよいと言いました。それで、この問題で二人がケンカすることもありました。そんなある日、父と母は、真の父母様にこの問題について伺ってみることにしました。当時、真の父母様はワシントンに来られるたびに私たちの家に泊まられました。それで、敬礼式を終えた後、父が真のお父様にお尋ねしました。すると、真のお父様は、文化の中で、“バレエ分野も復帰しなければならない。祝福の相対者としては、バレエを好む男を探せばいいだろう。バレエを続けさせなさい”と答えられました。それで、私の懇切な願いとは逆に、私はバレエを続けることになりました。

このようなことがあってから、2年後に真のお父様はバレエ団を設立されました。バレエは私たち(韓国)の文化ではなく、西洋の文化です。とても多くの予算が必要とされる芸術です。84年度に創団された時、“他にされなければならないことは多いのに、なぜお父様はバレエ団を創られるのか?”と、理解できない方もたくさんいらっしゃいました。

ところで21世紀は文化の時代と言いますが、5年、10年前から、ソウルから地方まで、たくさんの大小の劇場が建築され、多様なジャンルの公演が舞台に上がりました。企業でも競争をしながら、文化マーケティングをしています。企業で50席、100席規模の個人劇場を造り、会社の広報とVIP顧客管理のための文化接待をすることが流行しています。

このように、今は文化的な力量が豊かになりましたが、真の父母様がバレエ団を創団された1984年には、文化芸術が、それこそブルーオーシャン(未開発市場)でした。当時は、誰も文化芸術のことなど考えていなかった時なのですが、真の父母様はバレエ団を創団されました。真の父母様は本当に時代を先立って行かれる先駆者でした。

先ほど、私は自分のバレエ人生が運命的だったと言いました。そして、その運命は興進様の祝福とも直結しています。興進様は1984年、青春の花を開かせることもできないまま、17歳という若さで昇華されました。皆さんご存知でしょうが、当時お父様は死を覚悟して、勝共大会をされていた時でした。最後の光州大会でお父様の生命が危険だということを知り、皆が光州大会をすることに反対しましたが、お父様は神様の御旨であるがゆえ、行事を強行されました。韓国で行事が開催されている同じ時間において、興進様は真のお父様の生命を保護するための摂理的な蕩減条件として、犠牲の道を行かれました。事故が起こった時、直接車を運転していた興進様は、ハンドルを回して死を避けることもできました。しかし、一緒に乗っていた2人の二世を生かすために、御自身を犠牲にされました。

興進様の真の愛と犠牲があったために、真の父母様は蕩減の峠を越えられ、より大きな勝利を収めることができました。今日のような世界的な天一国基盤を立てることができたのです。皆さんが真の父母様にお会いするたびに、興進様の高貴な犠牲を思い、いつでも感謝の気持ちを持たれることをお願いします。

戦争が終われば、国のために生命を捧げた英雄たちのために、国家が参戦碑や追慕碑を立てて、彼らの犠牲を記憶し、彼らを称えます。真の父母様も、興進様を称えるために、息をして動く、追慕碑を建てられました。それが正にユニバーサルバレエ団です。

ユニバーサルバレエ団は興進様の記念事業として、1984年に創団されました。その時、真のお父様は“Universal Ballet Company”という揮毫を書いてくださいました。おそらく英語で書かれた揮毫は、これ一つのようです。バレエ団が創団された後、“白鳥の湖”、“ジゼル”、“沈清”などの全ての公演は、興進様の真の愛と犠牲を称える公演でした。私は本当に、精誠と努力を惜しまずに公演をしました。そしてユニバーサルバレエ団は、私たちの教会文化だけでなく、韓国バレエの牽引車の役割をし、韓国文化の水準を向上させました。

たくさんの努力にもかかわらず、多くの方たちがバレエに対して、私たちとは距離のある芸術分野として考える傾向があります。しかし私は40年間、バレエをしてきながら、バレエは信仰と似た点が本当に多いと考えるようになりました。

ある方が、“What is ballet?”、バレエとは何か?と尋ねるならば、私はバレエとは美しさだ、“Ballet is beauty.”と答えます。バレエは人間の身体で最も理想的な美しさを表現する芸術です。そのような意味で、バレエは天上の言語であるともいいます。バレリーナたちは重力から抜け出し、天に向かって高く跳びます。女性のバレリーナは神様により近づこうというように、つま先を立てて首を長く伸ばし、踊りを踊ります。バレエの動きを見れば、どんな踊りよりも高貴であり、純粋で、縦的で、天的な踊りであるということが分かります。

バレエで公演される作品のあらすじを見れば、常に善悪の対決がよく描かれています。また、霊界を表現するバレエ作品も本当に多いのです。“ジゼル”という作品だけ見ても、霊界があるということを前提としています。主人公のジゼルは、愛の裏切りを受け、恨を抱いて死にますが、死を越えて最後まで愛を守ります。この作品は、死を乗り越える愛を表現しているのですが、これは正に愛勝日の意味と通じると思うのです。

バレエが信仰と似ている他の理由としては、バレエは生計を維持する職業ではなく、天職であるという点です。お金を稼ぐためにバレエをする人は誰もいません。牧会者もそうだと思います。“バレエは天職である”という言葉は、芸術家として備えなければならない心構えを表してもいます。また、牧師が神様から牧会の召命を受けるように、バレリーナが踊りを選ぶというよりも、踊りがバレリーナを選ぶといいます。ある意味では、舞台は牧会の壇上のようであり、バレリーナは説教の代わりに美しい踊りで観客の心の琴線に触れ、感動を与えます。世界的な振付師であるジョージ・バラシンは、“劇場は私にとって、聖堂のようだ。だから、劇場に入るたびに、私はいつも聖堂に入る気分だ”と言いました。

ユニバーサルバレエ団の芸術監督を歴任されたオレグ・ビノグラドフ監督は、私に“公演を見終えたら、まるで心をきれいにシャワーしたように感じられなければならない。しかし、最近は公演を見ると、家に帰ってシャワーを浴びたい公演が多くて問題である”と言いました。全てのバレエ公演が水準の高いものではありません。芸術的情熱と精誠に溢れた作品のみが私たちに感動を与えることができるのです。

何日か前、TVで国立バレエ団のキム・ジュウォンバレリーナに関するストーリーが放映されました。キム・ジュウォン氏がジゼルの公演をしながら、たくさんのファンレターをもらったというのですが、その中の、ある女性からの手紙がとても感動的でした。その方は結婚して子供もいる方なのですが、とても生活が困難で、自殺をしようとまで思ったというのです。しかしその方はたまたまキム・ジュウォン氏の公演する“ジゼル”を見て、公演の最中ずっと、涙を流しました。そして、「私は生きなければ。絶対に自殺してはいけない!」と、心を変えたといいます。

本当に水準の高い芸術は、宗教的なテーマでなくても、芸術的な美しさだけで人生に新しい活力と希望を与えることができる力、心を治癒することができる力があります。ましてやミュージカル、オペラ、演劇などとは違って、バレエは世界的に共通言語です。宗教や国境、人種を超越して、誰にでも感動を与えることができる芸術です。従って、平和の世界を成すにあたって大きな役割をすることができるのがバレエだと思います。真の父母様はこのようなバレエの貴い価値を知られ、バレエ団を創団されたのです。また、ユニバーサルバレエ団を通して、興進様の生き様と犠牲、そして真の愛を、芸術に昇華するようにされたのです。

私は既にお話したように、5年前に舞台を引退しました。舞踊界にいる多くの方々は、私を本当にうらやましがりました。なぜなら、私にはユニバーサルバレエ団があったためです。しかし、バレリーナとしての人生を生きながら、私は10代、20代、30代までは本当に多くの涙で歳月を過ごしました。とても大変な時が多く、“かえって画家だったならば良かったのに、そうすればこのように騒ぎを起こすこともなく、静かに画室で絵を描いただろうに。私はなぜバレエをしたのだろうか?”という思いになったりもしました。

1989年、世界最高のバレエ団だけに舞台を貸すマリンスキー劇場での公演を前にしていた時も、私は自分の不足さを感じ、“うまくやり遂げることができるだろうか”と、とても恐ろしい気持ちになりました。私にとって、その公演はとてつもなく大きな挑戦でした。公演を前にして、ロシアで練習をしたのですが、ほぼ毎日、芸術監督の事務室の前に行きました。ノックをして入って、“私はとても、この公演をすることができません”とお話したかったのです。しかしそのように迷っていた時、ふと“この公演を成功裏に終えること以外に、家に帰る道はないだろう”ということを悟りました。ですから、楽屋に真の父母様の写真、興進様の写真、幼い信哲の写真などを広げておきました。そこで力を得て、私は公演を大盛況で終えることができました。

バレエには、このような言葉があります。“一日練習を休めば、自分が分かり、二日休めば先生が分かり、三日休めば、誰もが分かる。”私を指導してくださったバレエの先生は、“バレリーナは、練習を心臓が跳ねるごとくにしなければならない”と語られました。心臓が止まれば死んでしまいます。先生の話は、立ち止まることなく練習してこそ、素晴らしいバレリーナになることができるという指摘でした。

何年か前、時事ジャーナルで“エネルギー消費が最も多い運動は何か?”というテーマで行われた研究結果が報道されました。その記事によれば、エネルギー消費が最も多い運動の第1位はアメリカンフットボールで、サッカーとバレエが共同2位を占めていました。その研究によると、バレリーナがバレエ公演を全幕するのに消費するエネルギー量は、サッカー選手が前半戦、後半戦、延長前半、後半を交代せずに最初から最後まで走るのと同じだというのです。バレエは重々労働であるため、歳をとればできなくなるので、普通40歳前後には皆引退するようになります。

以前、“成功時代”というTV番組で、バレリーナのカン・スジンさんを取り上げた時がありました。その時、公開されたカン・スジンさんの足は、大きな話題になりました。同じバレリーナである私が見ても、カン・スジンさんの足は、特別です。普通のバレリーナの足は、バレエをしながら足の指の形に沿って、たこができます。人によってその程度は違いますが、カン・スジンさんの足は、バレリーナとして、あまり良い足ではありません。ですから、練習と公演をする中で、足にたこがたくさんできたのです。カン・スジンさんはおそらく、他のバレリーナに比べて10倍の努力をしたと思います。そうでなければ、シュツットガルトバレエ団の世界的なバレリーナの位置まで行くことはできなかったでしょう。スジンさんは私について留学した後輩であり、またリトルエンジェルス活動も一緒にしました。スジンさんの足はバレリーナが舞台に上がるためにどのような努力をしなければならないのか、語っています。説明はいらないでしょう。スジンさんの足の写真だけでも、十分です。

トゥーシューズに足が乗る広さは2、3cmほどです。その2、3cmの上に乗り、全身の体重を乗せて二つの足、または片足で立って跳ね、回る訓練をするのですが、つま先の上に中心をつかむためには、バランスを失ってはいけません。バレエは信仰生活と共通点が多いのです。バレリーナが一日も休まずに練習をしなければならないように、私たちは信仰生活をしていくにあたっても、本当に瞬間瞬間ごとに、私たち自身を振り返り、信仰を育てていかなければなりません。バレリーナがバレエのためにバランスをうまくとらなければならないように、信仰生活もバランスが必要です。

私はバレリーナとして、肉体的にとても大変で、また、霊肉結婚をして、寂しい時間を送りました。80年代、歌手のチョ・ジョンヒョンの歌を好んで聴きました。特に“その痛みまで愛したのだ”という歌を聴いて、たくさん泣きました。歌の歌詞に共感することができたのは、難しい道を歩んできましたが、その途中において経てきた痛みまで、私が愛することができるようになったからのようです。

今から8、9年くらい前だったと思います。お父様が私に、40歳までバレエをしなさいと言われました。ところで6年前、私が40歳になった年に、足に負った傷が再発し、手術をするようになりました。手術をすることによって、自然に引退をすることになりました。本当にお父様が語られたみ言の通りに、全てのことがなされるのだということを、もう一度実感しました。

私が引退した後に悟ったことが一つあります。とても驚きました。引退をして、練習を一日、二日、三日、一週間、一ヶ月休むと、“バレエをしなければ、本当に身体が楽なのだなぁ!”ということを、改めて感じました。7歳の時から舞踊をした私は、毎日訓練することが日常生活でした。他の人々は“どれほど大変だろうか?”と思うかもしれませんが、私はバレリーナとして、当然しなければならない練習でした。練習の途中で足の指をすりむき、たこができるのも当然のことでした。そのように、とても日常的なことだったのに、いざ引退をしてみると、“本当に私が大変なことをしていたんだなぁ!”ということを改めて感じたのです。

私はバレエを放棄したかった時がありました。しかし、大変な道を歩んできましたが、バレエは私の人生をとても豊かに満たしてくれました。自分のことを“バレリーナ文薫淑”と言うことが、私にとってはとてつもない特権だと感じるのです。私は心から、バレリーナとしての人生を生きるようにしてくださった神様と真の父母様、そして興進様にとても感謝をしています。

真のお父様が私を見られながら、“とても大変だろう”、このように一言投げかけてくれるたびに、私は本当に慰労されます。真のお父様自身がバレリーナをされた方のように、私を理解してくださっています。私は真のお父様の一言、真実な慰労の言葉から、それを感じることができました。私が途中であきらめることなく、バレエの道を行くことができるようにしてくださった真の父母様に、心から感謝を申し上げます。

私は実際、地上で興進様にお会いしたことがありません。ある意味で、地上での生活は興進様とのとても長い約婚生活です。ロマンティストとして、約婚期間をロマンティックに考え、過ごしています。私は興進様に対する私の全ての愛を、踊りで表現しました。バレエの公演では、私の相手はいつも興進様でした。バレエを通して、興進様を思う存分愛しました。

私が個人的に願うことが一つあるとすれば、ユニバーサルバレエ団がマリンスキーバレエ団のように、もしくはパリオペラバレエ団のように、250年、400年の歴史を持つバレエ団になることです。追慕碑や記念館は、後代にまで永遠に記憶されるようにという意味で造るものです。歳月が流れたとしても、もしくは世代が変ったとしても、なくしてしまうものではありません。ユニバーサルバレエ団は、興進様を称える事業です。私がこの地からいなくなっても、運営され続け、永遠に興進様の真の愛を記憶することができるように願っています。

バレエは、女性として私の人生の全てを捧げながら、苦労しながら守ってきた道です。ユニバーサルバレエ団は、興進様の犠牲と私の汗と涙で創られたゆえに、ある意味では興進様と私がお腹を痛めて産んだ子供のようでもあります。私には、信哲と信月がいます。もちろん、その子供たちと比較することはできませんが、ユニバーサルバレエ団も、やはり私には、もう一人の子供のようなものです。私の子供が、私がいなくてもずっと育っていけばというのが、私の願いです。

 バレリーナとして、引退した後はバレエ団の団長としての人生を生きてきました。信哲と信月の母として、もっとたくさんのことをしてあげられなくて、いつももどかしく、申し訳ない気持ちがあります。率直に告白すれば、この子供たちのおかげで、私がこの道をより力強く歩むことができたのだと思います。

 信哲は、興進様家庭の長男として、私を守ってくれ、私の人生に大きな喜びを与えてくれた初愛です。この貴い息子を送ってくださった顯進様の家庭に、深い感謝を捧げます。信哲は母をとても慕いながら大きくなったのですが、このようによく育ってくれて、とても感謝しています。これからもおじいさん、おばあさん、そしてお父さんの誇り高い息子として成長していくことを信じています。

信哲が私の初愛だとすれば、信月は私の希望です。私は幼い信月が、これから大きくなってお父さんの記念事業を継いでくれれば、と思っています。そのような意味で、信月は私の希望です。一昨年、日本の巡回公演をした時、当時3歳だった信月が、舞台にデビューをしました。とても不思議なことに、信月は私が心配になるくらい、バレエが好きなのです。公演を見て家に帰れば、私が教えてあげたこともないのに、公演で見た動作を真似するのです。また、音楽を聴きながら、この曲は白鳥の湖の背景音楽で、あの曲はくるみ割り人形の背景音楽だということが分かります。5歳にしかならないのに、音楽を聞かせると、その音楽が終わるまで踊り続けるのです。白鳥の湖を見てからは、絵を描いても白鳥だけ描くのです。朝、髪を梳いてあげる時、“信月!髪はどのようにしたらいい?編もうか?それとも結ぼうか?”というと、信月は無条件、白鳥スタイルと言います。音楽性もあり、私が驚くほど気があるのです。

実際、私は信哲の後、他の子供をいただけるということを考えもしなかったのですが、お父様が何年か前、孝進様の家庭に話をしてくださり、このような貴い娘が来ることになりました。私は最近、信月を育てながら、とても幸せに生きています。信月をくださった孝進様と妍娥様に心から感謝いたします。

また、私が信哲を育てながら、自分が産んだのではない子供を育てることがこのように幸せなのに、父や母に似た子供を直接産んで育てるのは、どんな気持ちなのだろうかといつも考えていました。ところが、驚くことに、信哲は興進様にとても似たのです。そして、とても不思議なことに、信月は私にとても似ました。どこに連れて行っても、皆、私にとても似ていると言います。私に似た娘をくださったことに対して、神様と真の父母様、そして孝進様家庭に、とても感謝しています。信月にも、感謝しています。

 食口の皆さん!この24年という歳月の間、私たちの家庭とユニバーサルバレエ団を見守ってくださり、愛して、祈祷してくださったことに本当に感謝しています。皆さんたちの精誠で、このように力強く進むことができました。これからも私たちの家庭とユニバーサルバレエ団を愛し、見守ってください。神様と真の父母様に栄光と喜びをお返しするために、また食口の皆さんのために、これからもより一層、一生懸命努力していきます。

最後に、常に私を信じてくださった真の父母様に感謝を捧げたいと思います。バレエの道を歩んできながら、信仰が私を支えてくれたと話しましたが、私の信仰は、正に真の父母様です。大変なことがあった時、神様の摂理のために、もっと苦労をされている真の父母様を思いながら、峠を越えることができたと思います。

食口の皆さんも、御旨の道において苦労をたくさんしてこられたということをよく知っています。歩みながら、大変な時には、真の父母様を思ってください。どんな困難も克服することができると信じます。

6月を出発する最初の日です。6月は、夏の始まりです。神様と真の父母様の愛と恩恵の中で、より健康で、幸せであってください。食口の皆さんが価値ある実を結ぶことができるようにお祈りいたします。ありがとうございます。