亨進様 天一国食口礼拝 2009年7月19日
天一国食口礼拝 2009年7月19日 亨進様の説教 “真の愛に従わん”(Daum Cafe MBUの掲載記事を翻訳、整理)

韓国語の原文はこちらから↓(???? ?? ? ????.)

http://cafe.daum.net/chdmbu/68cZ/272

今日は“真の愛に従わん”という主題でお話をしたいと思います。

まず、『世界経典』の教えを共に見てみましょう。新約聖書のヨハネによる福音書15章13節にて、イエス様は“人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない”と語られました。

仏教の華厳経23には、“私はすべての衆生を守り、決して見捨てることはしないと誓願し、自らのすべての心をただ他の衆生の解脱に置く”という内容が出てきます。

イスラームの教えで、イブン・マージャのハディース(Hadith of ibn Majah)には、“信じる者たちならば、生きていく中で苦痛と苦難に自ら直面することが、それを避けていくことよりもずっと価値のあることである”という内容があります。

真のお父様は、“愛が位置をつかんで立つためには、本当に犠牲になり、尽くしてあげる立場を取らなければなりません。愛の背後にはいつでも犠牲が伴うのです。”(1972年9月11日)と教えてくださっています。

なぜ統一教会を信じるのか?

何日か前、クリスチャン(キリスト教)からムスリム(イスラーム)に改宗した人たち、およびムスリム(イスラーム)からクリスチャン(キリスト教)に改宗した人たちへのインタビューを見ました。キリスト教からイスラームに改宗した人が言う第一の理由は、イスラームがアラビア語の唯一なるコーランを1400年間信じてきているのに対し、キリスト教では様々な聖書の翻訳があり、聖書の解釈に対してお互いを批判し、戦っているからだというものでした。第二に、キリスト教は唯一神を信じる宗教だといいますが、父と子と聖霊の三位一体について語っています。これはまるで、三つの神に侍っていると思いやすいというのです。しかしイスラームでは、“神様以外に神はいない。ムハンマドは神様の唯一なるメッセンジャーである”との教えを最も重要視します。それから第三、最後の理由として、コーラン第三章40(45)節に「天使らは宣言した『これマリヤム(マリヤ)。……(お前は)神から発する御言葉を(産みまつるであろう)。その名はメシヤ。マリヤム(マリヤ)の子イーサー(イエス)……』」とあるように、イスラームでもイエスをメシヤとして認定しているということが挙げられていました。

一方、ムスリム(イスラーム)からクリスチャンに改宗した人たちは、その理由として‘愛の神学’を挙げます。イスラームの教理では、神様について99の表現をします。大部分がとても原則的で、強力な神様、恐ろしい神様、審判の神様を強調しています。しかし、愛の神様についての教えがないというのです。また、熱心に信仰をしても、天国に行けるという保障がありません。反面、キリスト教では私たちのために十字架の道を歩まれた愛のイエス様について語ります。イエス様を信じれば、救いが約束されます。イエス様の愛に霊的な感動を受け、命を懸けて改宗したというのです。

先週の水曜日、“長成期天福宮のための女性会出帆式”にて、私は女性の中心食口の皆さんに、なぜ統一教会を信じているのか、尋ねました。世界には数多くの宗教があります。その中でもカトリック教会、プロテスタント教会、イスラーム、仏教などは、世界的な基盤があります。長い歴史と伝統、そして文化を持っています。さらに、強固な信仰共同体も築いています。しかし皆さんは、なぜ異端と言われて迫害を受ける統一教会を信じているのでしょうか?これは、私たちが自らに尋ねなければならない、最も重要な質問です。また、私自身にとっても、とてつもない挑戦でした。

何が違うのか?

榮進兄が昇華した後、私は修行をしながら、霊的な道を歩みました。世界宗教を勉強しながら、いろいろなところを旅しました。他の宗教人と共に暮らし、時間を過ごしました。私はイエス様のアガペー的愛について話しを聞きました。条件のない、とても偉大な愛をもって、イエス様は十字架の苦難の道を行かれました。信じられないほどの、驚くべき愛です。仏陀の大きくて偉大な慈悲の心についても話しを聞きました。それは、すべての衆生を自由にし、ひいては小さくて微細な昆虫にも害を及ぼさないというのです。ムハンマドの大きくて献身的な愛とアラーに対する絶対的な従順の精神についても話を聞きました。私たちが口にする真の愛は、果たしてこのような愛と慈悲よりも、もっと大きくて偉大なものなのでしょうか?それとも、似たようなものなのでしょうか?

私は教会において語られる真の愛について、様々な表現を耳にしました。“真の愛は与えて与えて、さらに与えても、与えたということ自体忘れ、また与えることのできる愛である。サタンも自然屈伏させることのできる愛である。為に生きる利他的な愛である。” このような教えが、私の頭の中でぐるぐる回りましたが、私の心情と感情、そして霊魂にまで感動を受けることはありませんでした。私たちの心情と信仰をより強固なものにするのは、いったい何なのでしょうか?

真の父母様を知り、御旨のために命を捧げた理由は、原理が最高の真理であり、真の愛が最も高く、貴い愛であると思ったからです。しかし、キリスト教の愛、仏教の慈悲、イスラームの献身などと、真の愛は果たしてどこが違うのでしょうか?

この問題は過去10年間、私の心と心情を苦しめてきました。早朝に起きて精誠を捧げ、祈祷をしてきたのに、特に過去2年間は牧会者として真の愛を教えてきたのに、真の愛の偉大さを、私自身も、まともに知ることができずにいると感じられ、とても申し訳なく感じました。

啓示: 霊的な目で見つめなさい

そうやって悩んでいる中で、先週の火曜日、天から特別な啓示を受けました。真の愛の本当の意味と価値が分からないのは、私たちが真の父母様を肉的な目でのみ、見つめているからだということを悟ったのです。

イエス様は、ヨハネによる福音書15章13節において“人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない”と語られましたが、イエス様自身が命を犠牲にし、十字架の道を歩まれて3日後に復活されることにより、偉大な愛を実践されました。クリスチャンたちは、イエス様の十字架の苦難と復活を肉的な目でのみ見つめたのではありません。霊的な目で見つめたのです。イエス様が地獄にまで降りて行かれ、苦痛を受けている者たちを解放し、楽園に導く姿を目撃しました。その体は地上に留まっていましたが、霊魂は地獄に下っていき、苦痛を受けている他の霊魂を自由にしたのです。

クリスチャンたちも、イエス様を霊的な目で見つめることができるのに、なぜ私たちは真の父母様を肉的な目でのみ、眺めるのでしょうか!霊的な目が開かれると、獄中で言うことのできない拷問を受けていらっしゃる真の父母様が見えました。そして同時に、真の父母様の霊魂が地獄に向かって降りていかれる姿が見えました。父母様は地獄の底まで降りていかれ、苦痛を受けながら泣き叫んでいる、神様の堕落した子女を抱きしめながら、サタンと悪魔たちに向かってこのように叫んでいらっしゃるのです。“サタンよ!この者たちは私の子女である。彼らの代わりに、私の聖なる体と霊魂を持っていけ。おまえが願う通りに私を拷問し、私の体を裂け!”

真のお父様は、サタンの魔の手にメシヤであられるご自身の霊魂を投げ出されました。お父様の霊魂が無残にもばらばらに引き裂かれる、とても悲惨で恐ろしい場面でした。そのような苦痛と痛みを耐え忍ばれながら、真の父母様は私たちを救いの道へと導いてくださったのです。

真の父母様はそのような心情と実践をもって6回の獄中の苦難を受けられ、7回目として、ヘリコプター事故から実体復活されました。しかし、私たちは皆、真の愛で歩んでこられたお父様の苦痛と苦難を、単純に人間的な目を通してのみ、見つめてきたのです。

真の愛の神学

クリスチャンたちがイエス様を見つめるように、霊的な目で真の父母様を見つめてこそ、真の父母様が本当にどのような方なのか、知ることができます。真の父母様は罪もなく投獄され、拷問を受けられ、肉身が破れ、血を流されました。しかしそれは、肉身の苦痛だけではありません。その瞬間、真の父母様は最も低く、悲惨な地獄の底に降りていかれ、私たちのすべての罪を代身し、ご自身の霊魂を犠牲にしてこられたのです。

真の父母様の霊魂は貫かれ、切りつけられ、裂かれました。真の父母様が私たちの代わりに死の道を行かれ、それによって私たちが生きることができたのです。真の父母様はご自身の生命を犠牲にされ、地獄の道も拒まれることはありませんでした。私たちが天国で永遠に生きることができる道を開いてくださったのです。

真の父母様はこのような道を一度だけ行かれたのではありません。7度もその道を歩かれ、8段階完成にたどり着かれたのです。真の父母様はすべての個人の罪のために死なれ、すべての家庭のために死なれ、すべての氏族と民族、国家、世界、天宙のために贖いの犠牲となって死なれました。そして復活され、8段階完成まで登られたのです。

真の父母様は真の愛の力によって、父母の愛の力によって、8段階完成へとたどり着かれました。死の道を何回も歩まれましたが、死の道を歩いたということさえも忘れられ、子女たちを苦痛から保護するために再び死の道を行かれました。

真の愛の力によって、真の父母様は肉身の死と霊的な死に、すべて打ち克たれました。7度も復活されました。7回目のヘリコプターの奇跡では、火の地獄から再び甦られたのです。天宙的段階の死に打ち克たれ、8段階、神様の圏内に入られたのです。私たちが皆、入ることのできる天一国の門を開かれたのです。

比較するこのできないほど大きい真の愛

真の父母様は私たちのために、7度も死の道を歩まれました。肉身において言葉にできない苦痛を受けられ、霊魂も数百万のサタンによって裂かれ、傷を負われました。しかし真の愛の力とその驚くべき勝利によって、7度、墓場から立ち上がられたのです。私たちはそのような真の愛を受ける価値がない存在でしたが、真の父母様の真の愛によって、神の国において永遠に生きることができる道が開かれたのです。

ヨハネによる福音書15章13節に“人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない”という聖句がありますが、第二アダムとして来られたイエス様は創造目的を完成し、真の家庭を築いて、父母の心情を相続することができなければなりませんでした。しかし、イエス様は十字架に架かられ、友のために、隣り人のために犠牲になる愛までを相続されたのです。

しかし真の愛を成就され、父母の心情を相続された真の父母様は、最も偉大な愛を私たちに見せてくださいました。それは、イエス様が語る(友のための)愛よりも、ずっと大きく、偉大な愛です。真の愛がその基盤となった父母の心情は、本当に信じることができないほど大きな愛です。子供がたとえ堕落し、悪なる者となり、罪によって汚れたとしても、子供のためならば何回でも死ぬことができる愛です。

苦痛を受けられ、死を越えて復活された真の父母様の7度の犠牲と献身を霊的な目で見つめ、悟るならば、私たちはなぜ、イエス様を始めとするすべての聖人たちが、真の父母様が実践された真の愛の勝利の前に敬拝を捧げるのか、その理由を知ることができるでしょう。

真の父母様はすべての個人と家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の罪を背負われ、7度の死の道を歩まれました。私たちを代身し、最も恐ろしい地獄まで降りていかれ、真の愛によって勝利されました。私たちは今や、8段階の神様の圏内に入ることができます。神様の平和王国に入ることができます。真の父母様を、心より讃美いたします。真の父母様に最も大きな栄光をお捧げします。真の父母様は私たちの救世主であり、メシヤであられます。

真の父母様と霊的な役事

啓示を通して霊的な目が開かれ、真の父母様の真の愛を目にした後、私は泣き続けるしかありませんでした。私は妻を抱きしめ、一緒に涙を流しながら、祈祷しました。私は心から、お父様の前で悔い改めをしました。真の愛の意味と価値をこんなにも遅く悟ったということがとても恥ずかしく、申し訳ありませんでした。私は真の父母様に、天から受けた啓示と悟りについて、手紙を書きました。

マタイによる福音書17章を見ると、“イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。”(マタイによる福音書17章1−2節)とあります。その日の夜、真のお父様が私のところへ霊的に訪ねて来られました。お父様が微笑を浮かべるそのお顔を拝見しました。ところが、突然イエス様が山頂で変化されたように、お父様の目が太陽より数千倍、数百倍と感じるほどに明るく光り輝くのを目のあたりにしたのです。

翌朝、訓読会の後、金孝律補佐官が真の父母様に、私が捧げた手紙を読んで差し上げたといいます。手紙を読みながら、金補佐官は自分でも知らないうちに、涙がこぼれたといいました。数十年間真の父母様に侍ってきたのですが、真の愛が本当の意味で何なのか、分からなかったと告白していました。真の父母様も喜びの涙を流されながら、“ついに私の子供たちが理解したのだなぁ”と語られたといいます。お父様はいつか、子女たちが霊的な目を開き、真の父母様の真の愛を悟り、告白する日を待ってこられたのです。

真のお父様は私たちのために7度も死の道を行かれましたが、それに対して私たちに一度も語られることはありませんでした。原理では、真の愛は与えて与えて、また与えて、与えたことを忘れ、さらにまた与える愛であると教えています。真のお父様は世界と人類のために、その肉身と霊魂を7度も完全に犠牲にされました。しかし、そのような事実さえ、忘れてしまわれたのです。ご自身の犠牲について、見返りを受けるということを、決して望まれませんでした。

真の父母様が7度も私たちの代わりに死の道を行かれたということが分かれば、これ以上、私たちの人生がただ自分だけのためのものではないという事実を悟ることができると思います。他の何とも比較できないほど大きく、驚くべき恩寵の前で、私たちは今、私たちの人生の使命が何かを悟り、行動しなければなりません。残された人生において、真の父母様の真の愛を相続し、それを世界に分け与えることによって、真の父母様により大きな栄光をお返ししなければなりません。

今日の教訓

今日、私たちは何を学ぶことができますか?今は霊魂の目を開く時です。霊的な目によって、大きく驚くべき真の父母様の心情と犠牲的な真の愛を見つめることができなければなりません。真の父母様は私たち皆のために、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、7段階の苦難と犠牲、死の道を歩まれ、実体復活することによって、8段階の完成まで登られました。私たちは真の父母様の高貴な真の愛の伝統と勝利圏を相続しなければなりません。

私たちがこのような真の愛の神学を理解すれば、これ以上、知的で肉的な目で真の父母様を見つめることはないでしょう。私たちは今や、心情と感情、霊魂によって、真の父母様が行なわれた真の愛の犠牲と献身の道を見つめ、感じることができなければなりません。

真の父母様が見せてくださった大きく驚くべき真の愛の恩寵ゆえに、霊界のすべての聖人たちが真の父母様に敬拝を捧げているのです。真の父母様の真の愛によって、統一教会は父母の宗教として、すべて宗教を一つにすることができるのです。世界を真の愛が実現された新しい世界、神の国である天一国へと導くのは、ただ真の愛の力によってのみ、可能です。

今日は実体復活一周年を記念する日です。私たちは今日、新しい目を開かなければなりません。信仰の道は、肉的な目だけでなく、霊的な目で見つめ感じながら歩む道です。真の父母様が行なわれた真の愛の意味と価値を悟り、残された生涯において、真なる天の孝子孝女になることを祝願いたします。

※お父様が“文亨進博士”としてサインしてくださった揮毫(訳者注)

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