亨進様 天一国食口礼拝 2009年5月17日
天一国食口礼拝 2009年5月17日 亨進様の説教 “信仰の力で立ち上がろう”(Daum Cafe MBUの掲載記事を翻訳、整理)

韓国語の原文はこちらから↓(???? ?? ? ????.)

http://cafe.daum.net/chdmbu/68cZ/263

今日は“信仰の力で立ち上がろう”という題目でお話したいと思います。

祝福の人生のための鍵

人生を生きていれば、大小様々な挑戦に出遭います。朝起きること、職場生活、人々との関係、財政状況、信仰生活、統一教会人として差別を受けることなど、毎日‘私’自身、もしくは相手と闘わなければならない状況に直面します。このような状況にうまく対処する方法を学べば、皆さんは祝福の人生を生きることができるでしょう。

ここで覚えておかなければならないことがあります。多くのことが皆さんに起こるでしょうが、一日の生活の中で皆さんが投入することができるエネルギーの量は、制限されているということです。すべての状況に対してぶつかり、闘っていれば、皆さんはすぐに疲れてしまうでしょう。したがって、どんな時は耐えなければならず、どんな時は立ち上がって闘わなければならないか、知恵深く選択しなければならないのです。

人生において、このような選択の中心に何が位置を占めているかが、とても重要です。皆さんはどうでしょうか?皆さんの中心には誰が、何がありますか?祝福の人生を生きるためには、神様と信仰が私たちの人生の中心に立たなければなりません。信仰の力で立ち上がらなければならないのです。

このような知恵について語っている『世界経典』の教えを調べてみましょう。

聖書のローマ人への手紙8章35節には、次のようなみ言が出てきます。“だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。…(中略)…しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。”

イスラームの経典であるコーランの3章186節には、次のような教えが出てきます。“.だがあなたがたが耐え忍んで主を畏れるならば、本当にそれは、物事を決断し成し遂げることになる。”

仏教の法華経13には、次のような教えが出てきます。“法華経を教えるためには、私たちがそれらすべての困難を最後まで耐え抜き、崇高な真理を命よりももっと大切に惜しまなければならない。”

真のお父様は『統一教会と食口たち』の249ページで、次のように語られています。“さあ、私たちが新しくならなければなりませんが、どう新しくならなければならないでしょうか?きょうこの朝、皆さんの習慣化した過去の信仰を蹴飛ばし、新たに立ち上がらなければならないというのです。夜に対したそのような生活態度を捨て、春を迎えられる、新しい環境を迎えられる私としての主体性を持ってこの環境を吸収、消化しなければなりません。”

知恵深く闘いに対処しなさい

ある社会学者が、このような話をしたといいます。“人間は、一緒に暮らしながら、お互いに衝突や紛争に陥るようになっているものだ。” お互いに対立する状況に出遭った時、闘わなければならないことと、そうでないことを知恵深く選択しなければなりません。もし皆さんがすべての状況に対してぶつかるようになれば、皆さんは継続して敵に出遭うことになるだろうし、他の人々に傷を与えることになるでしょう。そうなれば、皆さんは結局、寂しい立場に立つことになるのです。しかし逆に、皆さんが適切に状況に対処できなければ、皆さんは利用されたり、踏みにじられたりすることでしょう。

私の二番目の息子の信萬は、学校で力の強い子供からいつもからかわれていました。その子は信萬を“すっぱくなった饅頭”(韓国語の発音で、シィン マンドゥ)と呼ぶのです。彼がからかってくるたびに、信萬は気がおかしくなりそうだったといいます。それでとてもストレスを受け、学校に行くのも嫌だというほどでした。ある日、私が信萬に、その問題をどうやって解決したのか、気になって尋ねてみました。すると、信萬はとてもうまく解決したというのです。私はひょっとして、“信萬がその子を拳で殴ってしまったのではないか”と思いました。しかし、信萬はとても機転を効かせてその状況を解決したのでした。信萬をからかってくるその子の名前はコ○○というのですが、彼に対し、信萬はこのように言ったというのです。“おい!おまえが僕を‘すっぱくなった饅頭’というなら、僕はおまえをコドゥンオ(魚のサバ)と呼ぶぞ!” このように言うと、その子もからかわれるのが嫌だったのか、それ以上信萬をからかわないと言いました。このようにして、信萬はその子と和解し、今では一番親しい友達になったといいます。

信萬は私と一緒に武術訓練も受けたので、力で問題を解決することもできました。しかし信萬は暴力ではなく、とても知恵深く、問題を解決したのです。この話を聞き、挑戦に屈することなく、知恵深く、堂々と立ち向かった信萬をとても誇らしく思いました。

統一教会も、これ以上世間の無理解と迫害に、ただ沈黙していてはいけません。信仰と心情、忍耐とチームワーク、そして真実をもって、教会に対する世間の過った認識を変化させなければなりません。

偉大な人物が持った共通点

神様の摂理を担当した中心人物たちの行跡を調べれば、信仰の力によって立ち上がり、堂々とこの世の権力とぶつかった例をたくさん見いだすことができます。モーセはイスラエル民族をエジプトの苦役から解放させ、約束の地、カナンへと導くためにエジプト王パロに立ち向かわなければなりませんでした。神ヤハウェの名によって、命を懸けて、堂々とイスラエル民族に対する神様の計画を宣布しました。

出エジプト後、カナン入城を前にして、神様はモーセに続き、ヨシュアとカレブを指導者として選択しました。カナンへ偵察に行った他の人々が皆、カナン民族の壮大さを語るのですが、ヨシュアとカレブは神ヤハウェに対する信仰の力がより強かったのです。そして結局、イスラエル民族を率いてカナンの王を屈伏させるのです。

抑圧と圧制に対抗し、非暴力的な方法で善なる闘いをした偉大な人物がいます。マーティン・ルーサー・キングJr.牧師は、命を懸けて頑固な白人優越主義者たちの人種差別政策に立ち向かい、闘いました。インドのガンジーは、3200年も続いてきたインドの古い階級主義伝統であるカースト差別に立ち向かい、闘いました。ダライ・ラマは、彼の祖国チベットの独立のために、世界の強大国のうちの一つである中国と闘っています。不義に立ち向かい、命を懸けて堂々と立ち上がって闘う彼らによって、歴史は正しい方向に発展していているのです。

統一教会の中における義なる闘い

國進兄も統一教会の変化のために、信仰の力によって堂々と立ち上がり、闘いました。國進兄は2005年の初めに財団理事長として赴任された際、赤字だった財団を変化させるため、透明で専門的であり、公正なシステムを導入しました。そして利己的な文化と闘わなければなりませんでした。また國進兄は、真の父母様からお叱りを受けるような恨があったとしても、正直に報告しました。財団は変化し始め、統一グループは國進兄が受け持ってから3年で黒字経営に転換されました。これは驚くべき変化です。しかし相変わらず、國進兄に反対し、快く思わない人々がいます。今も國進兄は、統一家の未来のために闘っているのです。

私は牧会をしながら、毎日新しい挑戦に出会っているような気がします。一つの問題を解決すれば、また違う問題が表れます。統一教会の成長と発展は、連続する挑戦と勝利の過程を通してのみ、成就されるでしょう。

世界会長として就任した時が思い出されます。当時、多くの食口は統一家のアイデンティティーに混乱していました。宗教団体なのか、教育機関なのか、でなければ、家庭の連合体なのか?私は就任式場にて、世界会長としての地位を懸け、統一家は宗教団体であると話しました。他の名前の後ろに、私たちのアイデンティティーを埋もれさせてはいけないと話しました。

ある時、ユダヤ教の伝統で育ったフランスの食口と対話をする機会がありました。その食口は、統一教会に入教してから20年間、両親が“なぜ宗教を変えたのか”と尋ねてくれば、いつもこのように答えていたと言いました。“統一教会は宗教ではありません。文総裁は宗教を作るために来られた方ではありません。私たちは家庭連合です。真の家庭ということを教育するのです。” すると、その食口の両親は、このように言うというのです。“統一教会に行ったというなら行ったで、なんでこんなに信仰がないのか?”

このように、統一教会のアイデンティティーを曖昧にし、言い訳をしようとする時、社会の人々は私たちの信仰が弱いと判断します。さらに、統一教会に対して信頼しなくなるでしょう。説教を聞いた後、そのフランス食口は私にこのような話をしました。“これから両親に会った時は、統一教会人だと、自信を持って話そうと思います。統一教会がどれほど素晴らしく、偉大な宗教なのかを説明します。原理を聞いてほしいと勧めます。”

信仰の力によって立ち上がっています

今まで私たちは、自分たちの宗教伝統のために立ち上がって闘いなさいとは言ってきませんでした。宗教団体であることに誇りがもてず、真の家庭教育センターとして考えていました。真の父母様は、メシヤ、救世主、真の父母として、イエス様が成すことのできなかった使命を成就するために来られた方であるという事実さえも、堂々と証すことをしませんでした。私たちのアイデンティティーを、教育という名前で埋もれさせて、教会はだんだんと難しくなっていきました。真の父母様のみ言を堂々と宣布できなくなると、伝道ができなくなりました。教会が成長できなくなったのです。

しかし、最近、教会にとても驚くべき変化が起きているのを発見します。多くの統一教会人が信仰によって再び立ち上がる姿を見ます。私たちが宗教団体であることを堂々と言えなかった人々も、今は統一教会を誇らしく思っています。真の父母様のみ言を伝えています。決して、伝道などできないと言っていた人々も、今や外に出て伝道をしています。十一条献金を出すのも必要ないと言っていた人々も、十一条献金こそが信仰人として守るべき信仰態度だと信じるようになりました。

天福宮建立の摂理をただの大型教会プロジェクトだと考えていた人々も、天福宮建立を通し、統一教会の新しい姿を世界に見せてあげようと話しています。天福宮建築基金の準備に同参しています。これは、今まで真の父母様が率いてこられた世界摂理が実を結ぶことのできる、希望と勝利の象徴が正に天福宮だということを悟ったためです。

このように、統一教会が新しく変化しています。統一教会の食口たちが、信仰の力によって立ち上がり、真の父母様の名で世界に向かって前進しているのです。

ハーバード大学であった出来事

ハーバード大学は、超宗教的文化が強いところです。言うなれば、自分がどんな宗教を信じていても、その宗教だけが真理であるとは言えない雰囲気なのです。ところで、教授の中に、イギリスの聖公会牧師出身でキリスト教神学を講義される方がいらっしゃいました。ある日、超宗教の集まりがあったのですが、そのような集まりでは、大部分の人たちが、すべての宗教には真理の道があると言います。ところがその教授は、キリスト教が本当の真理だと語ったのです。私は教授の確信に満ちた信仰宣布が、とても格好良く見えました。たとえハーバード大学の教授であり、ハーバード大学の宗教文化が超宗教的だといっても、自分が信じている真理に対する確信を放棄しなさいということではありません。私はその教授から多くを学びました。他の宗教を尊重しながらも、自分が信じる宗教に対する確信を宣布することができなければならないのです。

今日の教訓

皆さん、今日私たちは何を学ぶことができるでしょうか?人生においてある状況に直面した時、その状況に対して知恵深く、うまく対処する方法を学ばなければなりません。ある問題を解決するにあたって、暴力を使うのは卑怯で、未熟な行動です。しかし、皆さんを苦しめる人々に対して沈黙だけしていれば、踏みにじられ続けるでしょう。勇気をもって立ち上がり、知恵深く立ち向かわなければなりません。

マーティン・ルーサー・キングJr.牧師やガンジー、ダライ・ラマを記憶してください。困難が近づいてきたとしても、ましてや死の脅威があったとしても、不義に屈することなく、堂々と立ち向かわなければなりません。信仰の力によって立ち上がってください。統一教会の成長と発展に対して、確信してください。専門性と透明性、公正な文化によって堂々と社会に誇ることのできる統一共同体を作りましょう。力ではない、ために生きる文化、善なる文化、犠牲になって献身する文化を通し、社会を自然屈伏させなければなりません。

統一教会の食口として、私たちが持っている信仰の伝統を誇らしく思い、自負心をもって世の中に真の父母様のみ言を伝える時、私たちはより多くの勝利、より多くの悟り、より多くの平和を得られるでしょう。神様の真の愛を相続し、この世界に伝えることのできる、誇らしい真の父母様の孝子孝女になるでしょう。