亨進様 天一国食口礼拝 2009年5月10日
天一国食口礼拝 2009年5月10日 亨進様の説教 “変化の季節”(Daum Cafe MBUの掲載記事を翻訳、整理)

※訳者注:韓国語の原題を直訳すると、“変化の節気”(節気:二十四節気の中で陽暦の上旬に当たる立春・清明など)という訳の方が相応しいのですが、英語の原題が“Seasons of Change”であり、内容的にも「季節」と訳した方が相応しいと思われたので、上記の訳にしました。

韓国語の原文はこちらから↓(???? ?? ? ????.)

http://cafe.daum.net/chdmbu/68cZ/262

今日は“変化の季節”という主題でみ言を分かち合う時間を持ちましょう。

自然の変化と祝福の人生

食口の皆さん!祝福の人生を生きるためには、季節に従って、万物万象が自然に変化するということを悟らなければなりません。神様は常に時と季節に合わせて、皆さんの人生を導かれるということを記憶しなければなりません。時には、皆さんが一生懸命苦労して努力しているのに、それにふさわしい実を結ぶことができないと思われ、“大変である”と感じることもあるかもしれません。人生において肯定的で発展的な変化は、とてもゆっくりと起こるように見えます。しかし、ある瞬間に時が満ちれば、皆さんの努力が実を結び、皆さんの人生が祝福によって満ちていることを確認することができるでしょう。

時の変化は、ゆっくり、音もなく近づいてくるかも知れません。そんな瞬間にも、あきらめることなく、変わらない心で、情熱的な人生を生きてください。神様は私たちの人生において、種を蒔く時、成長する時、花咲かせる時、実を結ぶ時がいつなのか、誰よりもご存知です。現在の困難に屈することなく、未来においてやってくる祝福の時を確信し、今日最善を尽くすならば、神様が準備された新しい時代、新しい祝福を迎えることができるでしょう。

『世界経典』の教え

変化と季節について、『世界経典』の教えを調べてみましょう。聖書の詩編102編25節から27節には、次のような聖句が出てきます。“あなたはいにしえ、地の基をすえられました。天もまたあなたのみ手のわざです。これらは滅びるでしょう。しかしあなたは長らえられます。これらはみな衣のように古びるでしょう。あなたがこれらを上着のように替えられると、これらは過ぎ去ります。しかしあなたは変ることなく、あなたのよわいは終ることがありません。”

イスラームの経典であるコーランの55章には、次のような教えが出てきます。“地上にある万物は消滅する。だが(永遠に)変らないものは、尊厳と栄誉に満ちたあなたの主の慈顔である。”

仏教の金剛経には、次のような教えが出てきます。 “相を取らざれば、如のごとく不動なり。一切の有為法(現象界)は、夢・幻・泡・影のごとく、露のごとく、また、雷のごとし。まさにかくのごとき観をなすべし。”

真のお父様はみ言選集の66巻181ページおいて、次のように語られました。“私たちは、一年を中心にして四季が変わる度ごとに変化をもたらすことを見るようになります。それでは自然にだけそのような季節の変化があるのかというと、そうではありません。この四季と同じことを、私たちは一日の中でも見ることができます。”

このように、『世界経典』を調べてみると、共通して何かの変化と無常さに対する教えが込められていることを知ることができます。特に、真のお父様は四季の変化だけでなく、一日の生活の変化についても語られました。感情の変化は、どんな状況の変化よりももっと早く、頻繁に起こります。ある瞬間は嬉しかったのに、突然悲しくなることもあります。反対の場合も、考えられるでしょう。このように、一日の生活にも多くの変化があることが分かるのです。

収穫の時に対する信仰と忍耐

人々は収穫の時を願っています。しかし、すべての季節に収穫をすることができるわけではありません。収穫をするためには、まず春に種を蒔かなければなりません。夏に穀物がよく育たなければならないし、秋に充分な陽の光と栄養分の供給を受け、よく実らなければなりません。もし皆さんが急ぐ気持ちで、このような自然の法則を考えることなく、あまり熟していない穀物を収穫してしまえば、とても食べることができなかったり、栄養が充分でなかったり、味の良くない穀物を手にすることになるでしょう。良い結実を得るためには、忍耐と信仰が必要です。穀物は成長するにあたって、必要な季節をすべて経てこそ、よく熟した実として、私たちの食卓に上がるのです。

私たちの人生も同じです。ある目標を成すための過程において、“まだ結実が見えない”と神様や他の人々を非難してはいけません。このような不信と不平は、収穫の時を延期し、その時を迎えても良い結実を得ることができません。もし私たちが、“私の運はいつもこれくらいにしかならない。いくら努力しても意味がないだろう”と言えば、それは“私はまだ祝福を受ける準備ができていません。祝福をしないでください”と言うのと同じなのです。不平を言って挫折する代わりに、感謝し、喜んでください。皆さんに種を蒔くことができる季節を与えてくださったことに感謝し、喜んでください。成長することができる季節をくださったことに感謝し、喜んでください。花咲き、実を結ぶことができる季節をくださったことに感謝し、喜んでください。これらすべての季節には、収穫の喜びと感動を準備させる神様の御旨が込められています。

ある金持ちと禅師の話

ある金持ちが、有名な禅師(禅宗仏教の高僧)を訪ね、新しい年を迎えて、家門の繁栄を祝願する文字を書いてくれと頼みました。そしてそれは、彼の家庭が後代まで大事にすることができるものでなければならないと伝えました。禅師は少しの間、深い瞑想に浸った後、大きな紙にこのように書きました。

“父死、子死、孫死”

この文字を見て、金持ちはとても怒りました。良い祝福の文字を書いてくれといったのに、あまりにも絶望的な内容を書いたと思ったからです。しかし禅師はこのように答えました。“もしあなたの子供があなたよりも早く死ぬとすれば、家庭においてこれより大きな悲しみがあるでしょうか?また、もしあなたの息子よりもあなたの孫が先に死ぬとすれば、これも、とてつもなく大きな悲しみではないでしょうか?代々、私が書いた文字の順番通りに死を迎えるならば、これは自然な人生の過程であり、真なる幸福と繁栄に違いありません。”

自然な変化こそ、最も偉大な祝福です。冬が過ぎれば、必ず春がやってくるようになっています。今、どんな試練と苦難を経ているとしても、冬は必ず終わるでしょうし、神様が私たちのために準備された春を迎えることになるでしょう。春に対する確信があれば、冬をより知恵深く送ることができるでしょう。

ヨシュアとカレブ

ヨシュアとカレブがイスラエル民族を導き、カナンの地に到着した時、神様はヨシュアに“6日間エリコ城を一度ずつ回り、7日目となる日には城を7度回った後、ラッパを吹き鳴らし、大きな声で叫んで神を讃美すれば、城壁が崩れるだろう”という内容のみ言を語り掛けました。神様に対する信仰を心の中にのみ抱くのではなく、表現しなければならなかったのです。このような信仰告白が、カナンの地を屈伏させることができる出発点になったのです。

これは、私たちの人生のおいても同じです。どんな障害物や試練に出遭ったとしても、神様に対する変わらない信仰を持たなければなりません。もしイスラエル民族がエリコ城を回る時、神様のみ言を疑い、み言の通りに行わなかったならば、どのようになったでしょうか?エリコの高い城壁と訓練された軍師たちに恐怖を感じ、大胆に叫ばなかったとしたら、どのようになったでしょうか?

しかし、ヨシュアとカレブは、神様のみ言のみを思いました。神様がどのようなこの世の力よりも、強いことを確信しました。神様がどんな挑戦よりも大きく、偉大な方であることを確信しました。彼らは神様のみ言を絶対的に信じ、堂々と彼らの信仰を宣布しました。

神様は、ご自身に対する信仰を行動に移し、宣布するイスラエル民族のために奇跡を起してくださいました。私たちが神様を絶対的に信じて従っていくならば、神様がイスラエル民族のために奇跡を行なわれたように、私たちのためにも奇跡を行なってくださると信じます。

榮進兄の昇華と無常に対する悟り

私が何年間か、お坊さんのように剃髪をし、トゥルマギを着て過ごしたことを、取材を申し込んでくる記者の方々はよく知っています。ですからインタビューを受けるたびに、仏教の教えの中で、どんなものが自分の生き様に影響を与えたのか、尋ねられます。今週も、二つの言論社からインタビューを受けたのですが、同じ質問をされました。

私の答えは、とても簡単で明確です。それは、仏教の‘無常’思想です。生有るものは必ず滅び、永遠に変わらないものはなく、常に変化するという教えです。変化とは、存在するすべてのものにおいて起きる、とても自然で正常的な過程です。私たちは皆、歳をとるし、いつか死を迎えるでしょう。しかしこのような‘無常’思想によって、悲観的になったり、憂鬱になる必要はありません。かえって‘無常’思想は、執着心をなくし、真の意味で人間を自由に解放する教えです。なぜなら、無常に対する真実なる悟りを得れば、人生というものがたとえ短くても、どれほど貴いのかということを知ることができるからです。私たちはある瞬間に、霊界に行くことがあり得るということを知っているため、昨日や明日ではない、今日、この瞬間に最善を尽くして生きることができるのです。

榮進兄が昇華した時、私はとても大変な時間を過ごさなければなりませんでした。しかし‘無常’の悟りを得てから、私は人生の深い意味について考えるようになりました。私もいつか死ぬであろうということを知っているからこそ、一日一日をより大切に生きることができました。一日一日を、まるで人生の最後の日であるかのように、貴く思いながら、修行をして過ごすことができました。瞑想をしながら呼吸をするたびに、とても感謝しました。生きているということがどれほど貴い機会であり、贈り物であるか、悟るようになりました。真の父母様と共に過ごす時間、妻と共に過ごす時間、子供たちと共に過ごす時間、食口の皆さんと共に過ごす時間がどれほど貴いのか、悟ることができました。

このような悟りの後、子供たちが泣いたり不平を言ったとしても、私は怒らなくて済むようになりました。交通渋滞や、嫌気が差すようなことが起こっても、私は心の平静を維持することができるようになりました。新しい観点で人間と事物、現象を見つめるようになりました。例えば、子供たちが泣いて駄々をこねるのは、生きているという証拠であり、成長していると言う証拠です。交通混雑は、交通事故に遭うことに比べれば、ずっと大きい祝福です。交通渋滞が起これば、私は瞑想をします。周辺の自然景観を眺め、その静かで平安な風景に心の安息を求めます。もしくは私の前で赤いランプが灯った信号灯を眺めます。信号灯は、二つの目であり、その下の自動車は、口の形をしています。多様な表情が過ぎ去り、また過ぎ去っていくのです。ある時は、イエス様の形状になったりもし、真の父母様の明るい表情になったりもするのです。

新しい人生観、5%の責任分担

違う観点から見つめれば、人生が変わります。腹が立ったり、嫌気が差すことにも、感謝することができます。徐々に冬は、春を花咲かせ始めたのです。私の胸に、新しい希望が湧き始めたのです。私はもう、これ以上神様が愛する力を奪っていかれたとは思いません。人生の暗やみと冷たさ、人生の苦味と憤怒に留まることはしません。兄をいち早く連れて行ってしまったと怨む代わりに、榮進兄のような素晴らしい兄と21年を共に過ごせる時間をくださったことに感謝することができたのです。

このように、‘無常’に対する悟りは、私を感謝する人間へと作り変えました。私に近づいてくる苦痛と試練に対して、他人を非難するという誤りを犯さなくなりました。暗い考えから、私を自由にしてくれました。生きているということ自体の貴さに感謝することができました。新しい観点、肯定と感謝の目で見つめることは、私たち人間がしなければならない5%の責任分担なのです。

真のお父様の犠牲と許し

真のお父様が国連軍の北爆によって、興南刑務所より劇的に脱出され、平壌を経て38度線を越えて南下される時、金元弼先生の他に、体の不自由な弟子を一人連れて、避難されました。その弟子は足を怪我していたので、家族も彼を見捨てたのでした。しかしお父様は、彼を見捨てられませんでした。時には自転車に乗せ、時には背中に負いながら、遠く、険しい避難の道を共に行かれたのです。おそらく、普通の人間であれば、大きな負担となる人と一緒に避難するということはしないでしょう。たとえ出発したとしても、とても大変な旅程となり、途中で一緒に行くことを放棄するかもしれません。しかし真のお父様は体が不自由な弟子を背中に負いながら、“一人を負っているが、全人類を救うという心情”で、困難と苦難に立ち向かわれました。

真のお父様の犠牲と献身によって、戦争から生き延びたその弟子は、「命が尽きる日まで、お父様を裏切りはしない」と誓ったといいます。「最後まで従っていく」と誓いました。しかし、人間の心というものは永遠ではないようです。彼は、愛の減少感に打ち勝つことができず、一時期、お父様から離れただけでなく、お父様を裏切り、大きな傷を与えたのです。

彼を生かすために数多くの試練と苦難に打ち克たなければならなかった真のお父様は、彼の裏切りによって、どれほど胸を痛められたでしょうか!しかしお父様は、決して失望されたりはしませんでした。天がくださった人類救援の使命を常に心に留められ、より大きな愛で、人類を抱かれました。そしてこのような愛と赦しの伝統が、統一教会の根本になるようにしてくださったのです。

今日の教訓

今日、私たちは何を学ぶことができたでしょうか?自然に季節があるように、人生にも季節があります。私たちは人生の冬、春、夏、秋を経ながら、種を蒔き、成長し、実を結ばなければなりません。ある人生のプロセスにいる時、私たちは時として、それが決して終わらないようだという思いが湧いたりもします。しかしすべてのことは、時になれば自然に、次の段階に越えていくようになっているのです。早くもなく、遅くもなく、私たちがどのように、私たちに与えられた季節を送っているかによって、自然に変化し、成長するのです。

今、皆さんが試練と苦難の中にいるとしても、絶望したり、あきらめたりしないでください。神様はいつも皆さんのための春を準備しています。今、世界は経済システムの崩壊と新型インフルエンザの拡散という危機状況に直面しています。宗教的平和と安寧はいまだ遠く、全世界を何回でも滅亡させることができる量の核兵器が、世界平和を脅かしています。人類は今、冬の季節を生きているのです。

この状況は、人類に、このような危機を克服させてくれる救援者を探すよう促しています。そして神様は、人類のための希望のメッセージを送ってくださっています。天福宮こそ、人類に新しい時代、新しい春を迎えさせてくれるでしょう。天福宮の摂理を中心として、統一教会は人類の和合と平和の新しい時代を開くでしょう。信仰の祖国、大韓民国を世界の中でそびえ立たせてくれるでしょう。私たちは天福宮を通し、長い暗闇と分裂の障壁を打ち倒すことができます。種を植える季節を越え、成長の季節を越え、近づいてくる収穫の季節に備えましょう。

皆さんが変化する季節ごとに、その深い祝福の意味を感謝し、収穫に向けて準備する時、皆さんはより多くの勝利、より多くの悟り、より多くの平和を得るでしょうし、神様の真の愛を相続し、全世界に伝えられる、誇り高い真の父母様の孝子孝女になるでしょう。