亨進様 天一国食口礼拝 2009年3月8日
天一国食口礼拝 2009年3月8日 亨進様の説教 “真実なる祝福の人生”(Daum Cafe MBUの掲載記事を翻訳、整理)

韓国語の原文はこちらから↓(???? ?? ? ????.)

http://cafe.daum.net/chdmbu/68cZ/245

食口の皆さん、先週も元気に過ごされましたか?今日は‘真実なる祝福の人生’という主題で、皆さんと一緒にみ言を分かち合う時間を持とうと思います。

正直で真実なる人生

私たちが祝福の人生を生きるためには、正直で真実な生活をしなければなりません。目の前の利益を得るために、正直であること、真実であることを捨て、現実と妥協しようという思いが湧くこともあります。しかし、しばらくは小さな損害を被るかも知れませんが、人生全体をおいて見てみれば、正直であること、真実であることが、皆さんの人生における最も大きな財産になることでしょう。祝福の人生を生きて神様の真の愛を相続したければ、天が祝福してくださった正直で真実なる‘私’として、人生を生きなければなりません。自らをとても良い人間だというように装わないでください。‘真実なる私’と‘世間に映る私’の間にある差を縮めてください。真実なる心と行動は、人々と信頼関係を結ばせてくれるでしょう。このような信頼は、皆さんを祝福の人生へと導いてくれるでしょう。

『世界経典』の教え

『世界経典』を見ると、真実と正直であることに対する多くの教えを見つけることができます。まず、新約聖書のエペソ人への手紙4章25節を見てみます。“こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。“

仏教の経典の一つである法句経の408章を見ると、“教訓的で真実な言葉を語る人をブラフマンと呼ぶ”とあります。ブラフマンとは、宇宙の根源である神聖な知性のことであり、ここでは聖人を意味します。

論語1章4節で、孔子の弟子である曾子は、次のように語ったとあります。“毎日、私は自分を見つめながら尋ねてみる。常に私は、自分の言葉に真実であるか?”

コーラン16章91節には、次のような教えがあります。“あなたがたがアッラーと約束を結んだ時は、誓約を成し遂げなさい。誓いを確証した後、それを破ってはならない。あなたがたはアッラーを、はっきり立証者としたのである。本当にアッラーは、あなたがたの行うことを知っておられる。” (日本ムスリム協会発行 「日亜対訳・注解 聖クルアーン(第6刷)」より)

最後に、み言選集100巻88ページに出てくる真のお父様のみ言を見てみましょう。“率直でないといけません。もぐもぐして、隠そうとする人は、発展できないのです。しかし、率直な人は発展します。この宇宙が押してくれるので発展します。どこへ行っても宇宙が押してくれるのです。それは、東洋でも西洋でも、過去や現在や未来に限らず、率直な人は皆全部友達となるのです。”

クリーブランド州立大学の研究

1980年代、クリーブランド州立大学の研究者たちが、正直であることについての研究を通し、驚くべき事実を発見しました。研究員たちはまず、デイビットとジョンという仮想の求職者2人を作り上げ、実験をしました。彼らは、ほとんど同じ内容の履歴書と推薦書を会社に提出したのです。2人の間の唯一の違いと言えば、ジョンの履歴書の自己紹介欄には、“時々、周りの人々と関係を築くのが、難しく感じることがあります”という言葉を付け足したことでした。彼らの履歴書は、多くの人事担当者が見て、検討しました。ところで不思議なことに、人事担当者は2人のうちの片方に、とても好感を持ちました。果たして、誰が人事担当者により良い印象を持たれたと思いますか?それはまさしく、ジョンだったのです。“周りの人々と関係を築くのが、難しく感じることがあります”、これはジョンの率直な姿です。人事担当者は、自らに対して正直で、客観的な記述をしたジョンを、より信頼したのです。

誰にでも、長所と短所があります。人々は長所をより良く装い、短所を隠そうとします。しかし、自らを正直に、客観的に見ることができれば、長所をより発展させ、短所を補うことができるようになるのです。

適切な人をバスに乗せなさい

スタンフォード大学のジム・コリンズ教授は、世界最高の機関と組織について研究しながら、驚くべき事実を発見しました。彼はこれを、バスと搭乗客の比喩を通して説明しています。普通、私たちが組織を構成したり、何かを成そうとしたりする時、到着点をまず決め、その次に人々を乗せなければならないと考えます。しかし、ジム・コリンズ教授は、まず適切な人をバスに乗せて、その後にどこに行くかを決めなければならないというのです。すなわち、信頼することができる人をまず探し、次に目標を定めなければならないということです。もし、どこに向かっていくか決めてから人々をバスに乗せたとしましょう。しかしある程度目標に向かって進んでから、いろいろなことが発生し、方向を変えざるを得なくなれば、彼らはバスを離れてしまうでしょう。

しかし、もしバスに乗った理由が、到着点ゆえではなく、誰かと一緒にいたかったからだとするならば、計画や方向が変わったとしても、バスに乗り続けることでしょう。ここでバスというのが、ある組織や機関を象徴しているとすれば、バスに乗っている人というのはその構成員を指すのであり、彼らはお互いに対する信頼を持って、チームを成しながら持続的に働くということになります。お互いを信頼することができる人同士が一緒に働く時、私たちは自らに動機を賦与することができるでしょう。最善を尽くして共同の目的を成し遂げることができるでしょう。

もし皆さんが有能で、信頼することができる人と一緒に働きたければ、皆さん自身がまず、正直で真実でなければなりません。正直であることと真実であることは、それを見つめる人たちを新しく変化させる力を持っています。皆さんの正直と真実に似て、彼らはより良い人間になろうと努力するでしょう。皆さんが正直で、真実であるとするなら、人々は皆さんと共に生死苦楽を共にしたがるでしょう。皆さんの喜びを分かち合おうとするでしょうし、皆さんが負っている重荷も分かち合おうとするでしょう。

ダニエルの正直さと信念

旧約聖書のダニエル書1章を見ると、ユダヤの王エホヤキムが王位に上がって3年になった年、バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムを囲み、攻撃を始めたとあります。エルサレムを占領したネブカデネザルは、宦官長(王国内の業務を担当する最高官吏)アシペナズに命じ、イスラエル民族の中で最も秀でた才能を持つ少年たちを選び、バビロンの言語と文化、文学などを覚えさせました。王は、彼らに自分の食事も与え、食べさせてあげました。このようにしながら3年の間、少年たちは教育を受け、王に仕えたのです。ダニエルもそのような少年の中の1人でした。彼は神様に対する信仰が強く、常に真実でありました。

ある日、王は巨大な木が出てくる夢を見ました。夢の中で木は絶え間なく育ち、たくさんの実を結びました。ところが、ひとりの聖者が天から下ってきて、木を切り、実を散らしてしまえと命令するのです。そして、“彼は声高く呼ばわって、『その木の根の切り株を地に残し、それに鉄と青銅のなわをかけて、野の若草の中におき、天からくだる露にぬれさせ、また地の草の中で、獣と共にその分にあずからせよ。またその心は変って人間の心のようでなく、獣の心が与えられて、7年間を過ごさせよ。この宣言は、いと高き者が、人間の国を治めて、自分の意のままにこれを人に与え、また人のうちの最も卑しい者を、その上に立てられるという事を、すべての者に知らせるためである』と言うのです。”王は夢の意味をつかみかねず苦心した後、ダニエルに夢を解いてみよと言いました。ダニエルは命を賭けて、正直に、“王よ、その解き明かしはこうです。すなわちこれはいと高き者の命令であって、わが主なる王に臨まんとするものです”と語った後、夢を解き始めました。すなわち彼は、“夢に出てくる木はバビロン王国を象徴しており、それは強大に成長し、広い領土を掌握するが、結局は神様によって滅亡させられるだろう。そして王は7年間、森の中で獣のように過ごし、結局は神様を信じて仕えるようになるだろう”と語ったのです。ダニエルの夢解きから1年が経っても、何も起きませんでしたが、ある日、突然王は狂い、森の中に入っていって、まるで獣のように振る舞うようになったのです。彼の髪の毛は伸びてワシの羽根のように、手と足の爪は鳥のようになり、まるで牛のように草を食べるようになったのです。そして7年が過ぎました。王はついに、神様を信じ、仕えるようになったのです。

ダニエルはその後、真実なる信仰と率直さゆえに、穴に放り投げられ、命を失いそうになる危機にも遭いましたが、彼は神様が救ってくださるという絶対的な信仰と信念を持っていました。そしてついに、彼は王を変化させたのです。

國進兄の正直さ

真のお父様の九旬(90歳)を祝賀し、記念する行事の中で、國進兄は多くのVIPを前にして家族代表で挨拶をされました。國進兄は“真のお父様は今日九旬を迎えられましたが、最も喜ばれるプレゼントが何か、考えてみました”と言われながら、次のような話をされました。

“多くの方が祝賀午餐会に参席し、食事を分かち合いながら一つの家族のように楽しい時間を過ごしています。しかし、本当の家族とは、喜びだけを共に分かち合うのではなく、家族が背負っている重荷をもお互いに分かち合うことができなければならないし、それが‘本当の家族’かどうかを区分することのできる基準になります。”

國進兄は祝賀行事の参席者たちに、本当の家族になろうと訴えられました。真の父母様を信じて侍り、統一教会のために自身のものを投入し、投資することを要請されました。そして、そのような気持ちの姿勢と実践が、真の父母様のための最も大きく、素晴らしい贈り物になるだろうと語られたのです。

真の父母様のための、訓師の精誠と祈祷

私が、真のお父様に呼ばれてソクチョに行った時、お父様はとても大変なスケジュールをこなしておられました。毎日ほとんど10時間、公的な日程を主管され、み言を語られました。先週の月曜日には、朝早く起きられて精誠を捧げられ、訓読会を主管して一日のスケジュールを始められた後、午後には会議を主管、夜の8時から1時まで指導者たちにみ言を語られました。またお父様は、教会の現在と未来のために、とても重大な決定をくださなければなりませんでした。お父様は祈り続けられました。

私は困難で大変な時間を過ごしておられる真のお父様の横で侍りながら、ふと、本部教会で真の父母様のために精誠を捧げていらっしゃる訓師の方々を思い浮かべました。訓師の方々は明け方の2時30分になれば山に登って精誠を捧げ始め、一日に10時間ずつ、霊的な修行をしていらっしゃいます。真の父母様と全世界の統一教会のために、祈祷しながら、精誠を込めておられるのです。そのような訓師の方々を思う時、感謝の気持ちしか湧いてきません。

ダンベリー修行と訓師の方々

私は火曜日、ソクチョからソウルに戻ってきました。そして水曜日から訓師の方々と‘ダンベリー修行’を一緒にするようになりました。皆さんもご存知のように、真のお父様は無辜の罪でダンベリーの道を歩まなければなりませんでしたが、苦難の後に訪れてくる祝福を確信され、天の前にいつも感謝を捧げられたのです。真のお父様はダンベリーで、最も低い位置、僕の僕の道を歩まれました。人々が最も避けるトイレ掃除をされ、囚人たちが使用する便器と小便器を磨かれました。このような真の父母様の愛と心情、献身の心を相続するため、訓師の方々は共に教会のトイレ掃除を始めました。そしてこれは、‘ダンベリー修行’と命名されたのです。

ある時、私は訓師の皆さんと一緒に男性トイレの小便器を掃除していたのですが、そこに軍服のような服を着て長いあごひげを伸ばした男性がトイレに入ってきたのです。彼は、私がゴム手袋をして小便器を掃除しているのを見て、衝撃を受けたようで、“あの、もしかして統一教会の世界会長ではないですか?ここでトイレ掃除をしているなんて!いったい、どうしたのですか?”と尋ねてくるのです。彼は、何ヶ月か前にイ・ドンハン副会長が私に紹介してくれた、韓国でとても有名な陶芸家の先生でした。私は彼に、このように話しました。“こんにちは、私は今、訓師の皆さんと一緒のダンベリー修行中です。これは単純な掃除ではありません。霊的訓練です。真のお父様は、無辜の罪でダンベリー刑務所に入られ、苦難を受けられたことがあります。その時、お父様は便器と小便器を毎日掃除し、囚人のために犠牲になられながら、奉仕をされました。そのようなお父様の‘ために生きる生活’を相続するために訓練をしているのです。” 彼はとても驚き、“どうぞ、されてください。私は後で用を足すことにします”と言って、トイレから出て行きました。後で聞いてみると、彼は2時間も我慢したというのです。到底、私たちが修行している時間に用を足すことができなかったとのことです。

訓師の方々を見れば、感謝の気持ちしか湧いてきません。皆、60歳を越えた方々です。修行の道は大変で、苦痛でもあるだろうに、明け方の2時30分になれば、決まって修行を始めます。低い立場で、楽しい気持ちで、感謝する気持ちで精誠を捧げていらっしゃいます。山に登る時も、ダンベリーの修行をする時も、常に顔には慈愛に満ちた微笑が溢れています。訓師の方々を見れば、私たちは一人でこの道を歩んでいるのではないということを悟ることができます。本当に、大きな力を得ることができます。神様と真の父母様、そして全世界の統一家食口に向かう、訓師の善なる気持ち、義なる気持ちはとても感動的です。

國進兄との対話

私は國進兄と対話をしながら、訓師の方々と一緒に‘ダンベリー修行’をしており、訓師の方々と一緒に修行をしながらどれほど大きな感銘を受けているか、説明しました。

高校生の時、私はとてもできそこないの学生でした。当時、私が真の父母様の息子だから、学校の先生は私を嫌っているのだと思いました。私を差別し、良い点数を与えてくれないのだと、先生を非難していました。ところがある日、國進兄が私にこのように話してくれたのです。“決してそうじゃない。亨進、あなたは自らに対して正直になれないでいる。あなたが提出した課題を見ると、めちゃくちゃだ。だからD学点をもらうんだ。もしこれからもそうし続けていれば、あなたの人生は、神様から祝福されたものとならないだろう”

私は昔の記憶を思い出しながら、國進兄にこのように話しました。“お兄さん!私はハーバード大学と大学院を卒業し、今は統一教会の世界会長となり、修道僧の掃除夫として、神様の祝福を感じて生きています!”

今日の教訓

皆さん!今日、私たちは何を学ぶことができたでしょうか?祝福の人生を生きたければ、正直な心で生きなければなりません。真実で、正直に私たちを訓練することが、とても重要なのです。正直であることと真実であることは、人生において最も本質的な要素です。誰もが、言葉だけの人を助けたいとは思いません。神様もそのような人を助けたいとは思われないと思います。私たちは真実な心で実践し、神様を感動させることができなければなりません。

世界に完璧な人間はいません。自分を過度に装い、良く見せようとしないでください。他人に見せる‘自分’と、真実な‘自分’の間にある差を縮めてください。それは宗教人として歩まなければならない、最も本質的な修行です。正直であってください。約束を守ってください。善なる原則に従って、人生を生きる訓練をしてください。

私は訓師の方々といつも、謙遜な生き方、正直な生き方について討論しています。低い位置に降り、人々に仕えることができるならば、真の父母様の‘ために生きる生き様’を相続することができるでしょう。

これから、私たちは長成期段階の天福宮に進むでしょう。統一教会は新しい次元に上がるでしょう。教会において、正直であることと真実であることが最も重要なことです。牧会や修道生活、教会活動において、私たちは皆、常に真実でなければなりません。もし私たちが本当に正直で、真実な心を持って成熟した人生を生きるならば、必ずより多くの勝利、より多くの悟り、より多くの平和を得ることができるでしょう。神様の真の愛を相続し、真の父母様が私たちにくださった祝福の人生を生きて、周りに祝福を連結することができる誇らしい孝子・孝女になってくださるようお願いします。