亨進様 天一国食口礼拝 2009年3月15日
天一国食口礼拝 2009年3月15日 亨進様の説教 “自我省察の力”(Daum Cafe MBUの掲載記事を翻訳、整理)

韓国語の原文はこちらから↓(???? ?? ? ????.)

http://cafe.daum.net/chdmbu/68cZ/248

食口の皆さん!先週も元気に過ごされましたか?今週は‘自我省察の力’というテーマでみ言を分かち合おうと思います。

祝福の人生のための鍵: 自我省察

祝福の人生を生きるためには、自我省察の力を学ばなければなりません。自我省察とは、自己の心を反省し、見つめることをいいます。簡単に説明すれば、正直に自分のことを見つめるということです。

自我省察をすれば、自分が持っている長所と弱点を発見することができます。さらに、神様が‘私’にくださった人生の目的と使命が何であるか、知ることができるでしょう。また、その目標に向かって真実に生きているのか、点検することができるのです。私たちは自己省察という内面の鏡を通し、自らを見つめて‘私’を持続的に成長させられる道を発見することができます。ですから自己省察は、祝福の人生のための重要な鍵になるのです。

『世界経典』の教え

驕慢や傲慢な気持ちを警戒し、自我省察の重要性を強調する『世界経典』の教えを調べてみることにしましょう。まず旧約聖書の箴言16章18節を見ると、“高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。”というみ言が出てきます。

仏教の教えが込められたNargarjunaの金言集406章12節を見ると、“自らがより秀でていると考える人は、自分に自負心があるというよりも、傲慢な者である。まだ得ていない結実を得たと考えるのは、独断的な驕慢である。”とあります。

イスラームの経典であるコーラン96章6節から8節までを見てみましょう。“人間は本当に法外で、自分で何も足りないところはないと考えている。本当にあなたの主に(凡てのものは)帰されるのである。” (日本ムスリム協会発行 「日亜対訳・注解 聖クルアーン(第6刷)」より)

真のお父様は、『御旨と世界』において、次のように語られています。“神様の創造の原則は、「相手のために生きよ」ということであり、「私のために生きよ」というのは、サタンの根性です。皆さんは善悪の起源をはっきり知らなければなりません。悪なる人は、私に仕えよと言います。神様もこれを打ち砕こうとするし、イエス様もこれを打ち砕こうとします。それゆえ、おごり高ぶるな、他のために犠牲になれ、奉仕せよと教えてきました。”

蝿の王

ノーベル文学賞を受賞したウィリアム・ゴールディングは、1954年に代表作、『蝿の王』を出版しました。この本は1960年代までベストセラーとなり、アメリカの多くの学校において、必読書として薦められました。ヘブライ語の「ベルゼブル」とは「住居の主」の意味ですが、これは列王紀下1章2節の「バアル・ゼブブ」というエクロン地方の神名「蝿の王」から来た語です。この「ベルゼブル」とは、サタンの別名です。その語源となった「蝿の王」の名にちなむゴールディングの小説は次のような話になっています。

13歳以下のイギリスの少年たちを乗せた飛行機が無人島に墜落し、生存者のうちで大人は一人もいませんでした。少年たちはラーフが率いるグループとジャックが率いるグループに分かれます。ラーフのグループは、島を脱出するために、自分たちが漂流しているという事実を外部に知らせる方法を探そうと努力します。その反面、ジャックのグループは外部に助けを求めることはできないと考え、狩りをしながら島の生活に適用しようとします。こうして考え方の違う二つのグループは、徐々に対立し始めるのです。

そんなある日、島に怪物がいるという噂が広がります。ジャックのグループは怪物を仕留めて殺してみせると約束します。そして怪物を探して島を歩き回っている時に、死んだ操縦士の体を発見するのですが、少年たちは恐怖ゆえに、それが眠っている怪物だと思うようになるのです。そして動物を仕留め、怪物に供え物として捧げたりもします。そのような過程を経ながら、ジャックのグループに入っている少年たちは、より野蛮になっていきます。そしてラーフのグループの少年たちは、より合理的に状況に対処し、外部に助けを求める信号を作ろうと努力し続けるのです。

やがてジャックのグループの少年たちは、強烈な野獣性を帯び、二人の少年を殺してしまいます。一人に対しては、島の怪物と錯覚して殺してしまい、ラーフを襲って‘火をつけることができるメガネ’を奪おうとする途中で、大きな石を投げてもう一人を殺してしまうのです。

結局、最後にはすべての少年がジャックのグループに入り、一人残されたラーフは生き残るために森の中に逃げ込みます。そしてジャックと他の少年たちは森に火をつけるのです。島は火の海となるのですが、偶然通りかかったイギリスの海軍がその光景を見て島にやってきて、子供たちを救出するのです。このようにして、野蛮で狂気に満ちた悲劇的状況は幕を閉じるのです。

『蝿の王』の話を読みながら、私は自我省察がどれほど重要なことか、悟ることができました。自我省察は、“私は何者であり、今どのように変化しているか”ということを知らせてくれます。ジャックもやはり、文明化された社会で育った平凡な少年でした。しかし無人島という孤立した環境の中で、人間としての理性と感性を失い、悪魔のような指導者、‘蝿の王’になってしまいます。実際、島には怪物など住んでいませんでした。小説を通して表現された怪物は、正に少年たちの内面に潜んでいる野獣性だったのです。

母親の知恵

ある母親と息子の話です。息子はとても利己的で無礼であり、学校で友達といつもケンカして問題を起こす学生でした。そのために彼は何回も転校しなければならず、母親は胸を引き裂かれるような思いをしていました。

ある日、母親と息子が一緒にプールに行きました。息子は一緒に泳いでいた他の人たちに対して少しも配慮せず、一人で狂ったように水を弾かせながら泳ぎました。周りの人たちは冷たい視線を送り、非難する人もいましたが、息子にはまったく聞こえていない様子でした。その時、母親は息子の無礼な姿と、周りの人々の反応をビデオに収め、息子に見せようと決心し、撮影を始めたのです。

後で息子はその映像を見て、大きな衝撃を受けました。実際、息子はただ楽しく泳いでいただけなのに、それが周りの人たちの迷惑になっていたという事実を知ったのです。彼は、無礼な行動に気分を悪くして怒っている人々を見ながら、申し訳ない思いが湧き、再びこのようにしてはいけないと自らを変え始めたのです。

この母親は、知恵深く、息子が自分の姿を客観的に見つめることができるように助けました。言うなれば、自我省察をすることができるようにしたのです。もし、このように知恵深く‘自分’を見つめさせ、良い方向に変化させることができる人が周りにいるとするならば、皆さんは本当に幸せな人なのです。

もちろん、だからと言って、“良いフィードバック”だと見せかけながら、皆さんに近づいてくる否定的な見解をすべて受け入れなさいということではありません。皆さんの周りにいる方の中で、純粋な気持ちで、皆さんが良くなることを願う方がいるならば、そのような方の真実なる忠告には、耳を傾けなければならないということです。そのような方こそ、皆さんの本当の後援者であり、神様が皆さんにくださった人生の目的と使命を成すことができるように助けてくれる方なのです。

ルーシェルに不足だったもの

聖書を見れば、アダムとエバを堕落させたルーシェルという天使長が出てきます。ルーシェル(ルシファー)という名は、ヘブライ語の「へーレール」(輝くもの)をラテン語に意訳した言葉で「明けの明星」という意味を持っています。彼は天使の中でも、神様の愛を最も多く受ける天使でした。本来、彼は最も従順であり、知恵深く、強いリーダーシップを持った、信頼される存在だったでしょう。しかし彼には、自我省察の能力が不足していたようです。

アダムとエバが創造され、神様からより多くの関心と愛を受けるようになると、彼はだんだん嫉妬心に囚われ、このような不平を言い始めました。“どうして神様は、私よりもアダムとエバを愛するなんてことができるのだろうか!今まで私が神様のために一生懸命働いてきたのに、どうして神様は私にあのように対せるのだろうか!” 自分でも分からないうちに、ルーシェルの嫉妬心は日ごと大きくなり、やがてそれは憤怒に変わりました。“神はアダムとエバだけを愛されている。これ以上、私を必要とはされないみたいだ!もし神が私を必要とされないのであれば、私もやはり神を必要としない!神を憎む!幸せな家庭を築こうという神の計画を破壊させてしまおう。そうやって、神に復讐しよう!” ルーシェルはこのような邪悪な目標を成すため、エバを誘惑し、神様のみ言に背かせました。エバは、ルーシェルの偽りの愛を相続したのです。そして結局、アダムまで堕落させてしまったのです。

私は訓師の方々に、修行をしながらこのような話をしました。“私と訓師の皆さんは、これから宗教人として、責任ある行動をしなければなりません。訓師の道を歩みながら、出発する時の純粋な気持ちを大事にして、いつも自らを省みなければなりません。神様と真の父母様に向かった真実の心で精誠を捧げ、修行しなければなりません。” 私はまた、“善なる道を歩んでいるのか、真実なる心で神様に向かって献身しているのか”を、常に点検しなければならないと話しています。そして“霊的な道はとても美妙であるため、自分でも分からないうちにジャックやルーシェルのような自己中心に陥ることがある”と警告しました。

一般席に座る理由

私は何年か前から、飛行機に乗る時はエコノミークラスに座ります。私はこれを、一つの霊的な修行であると考えています。アメリカから飛行機で韓国に来る時、教会の指導者たちと一緒の飛行機に乗ることがあります。指導者たちは普通、ビジネスクラスに座っています。しかし彼らは同じ飛行機で私がエコノミークラスに座っているのを見るとやってきて、“亨進様、私がビジネスクラスを取っておきました。私とチケットを交換し、前に座ってください”と言います。しかし私は、“大丈夫です。私は今、修行中なのです”と答えるのです。

さらに、やがてお父様が私により大きな使命をくださるようになると、多くの指導者と食口がやってきて、このように話すのです。“亨進様!どうか、私たちのためにビジネスクラスに乗ってください。世界会長がエコノミークラスに座られるとなれば、世間が統一教会をどのように見るでしょうか?”と。ビジネスクラスに座ること自体が問題になるのではありません。私はただ、純粋な宗教人として、自我省察訓練をしているのです。このような訓練に忠実であってこそ、謙遜で、真実な心で神様と真の父母様に侍ることができると思っています。もし私が、世界会長になったからと言ってエコノミークラスに座るのを嫌がるようになれば、それを通して私の心が変化したということに気づくことができます。このような理由で、エコノミークラスに座る訓練が私にとって、重要な意味を持つのです。

もし、世界会長である私がエコノミークラスに座るのを好まれないのであれば、真のお父様に、私を解雇してくださいと要請してください。(笑)

謙遜な心で、低い位置で

真のお父様は、“真実で謙遜な心で、低い位置においてために生きることを実践するならば、サタンは決して私たちを攻撃することができない”と教えてくださいました。お父様はより高い位置に上る時、まず自分の気持ちと心情を見つめ、行動に注意しなければならないと語られます。私は訓師の方々に、“称賛はすなわち、審判である”と話しました。称賛と尊敬を受ければ受けるほど、より謙遜な心で一生懸命修行し、訓練しなければならないと話しました。そうしてこそ、神様と真の父母様の心情に似ることができるのです。

私がエコノミークラスに乗るのも、ダンベリー修行をするのも、どんな贈り物も受け取らないのも、自らを見つめて点検する、霊的な訓練です。私はいつも、訓師の方々に自我省察と謙遜な心を強調します。毎日、変わらない心で霊的な訓練をすることを強調します。そうしなければ、ルーシェルや、『蝿の王』のジャックのような人間になってしまうのです。もし宗教指導者がそのような存在になれば、彼に従う多くの人々は霊的な傷を負うことになるでしょう。

私は真の父母様に、訓師の方々の精誠と霊的訓練についてお話しました。お父様もお母様も、金孝律補佐官も、とても感動されました。そこで真のお父様は私に、“あまり無理をするな。健康を守らないといけないだろう”と語られたので、私はこのように申し上げました。“お父様!心配なさらないでください。私と訓師の方々にとって、修行は喜びであり、感動です。修行は単純に霊的な訓練だけでなく、肉的な健康のための訓練でもあります。心配なさらないでください”と。

今日の教訓

今日、私たちは何を学ぶことができるでしょうか?自我省察は、大きな力と能力を持っています。自我省察は、皆さん自身を客観的に見つめさせてくれます。正直に皆さん自身を見つめ、神様が祝福してくださることのできる誇り高い息子・娘になるために努力してください。皆さんはそのような過程を経ながら、真なる自由と解放を得ることができるでしょう。自我省察は、皆さんを自由にしてくれるでしょう。なぜならば、それは皆さんを驕慢という呪縛から抜け出させてくれ、皆さんが受ける称賛の言葉に陥らないよう、助けてくれるからです。

自我省察を通し、神様が皆さんにくださった潜在力が何か、皆さんが持っている長所と短所が何か、皆さんの人生の目標と使命が何か、知ることができるでしょう。自我省察は、神様が皆さんにくださった才能を知恵深く用いながら祝福の人生に向かって前進しているのか、点検させてくれるでしょう。

皆さんがもし自我省察の力をよく活用し、人生を生きるならば、必ずより多くの勝利、より多くの悟り、より多くの平和を得ることができるでしょう。神様の真の愛を相続し、祝福の人生を生きる誇り高い孝子・孝女になれるでしょう。