亨進様 天一国食口礼拝 2009年2月22日
天一国食口礼拝 2009年2月22日 亨進様の説教 “霊的な力を鍛えてください”(Daum Cafe MBUの掲載記事を翻訳、整理)

韓国語の原文はこちらから↓(???? ?? ? ????.)

http://cafe.daum.net/chdmbu/68cZ/242

祝福の人生のための霊的な力

今日は“霊的な力を鍛えてください”という題目でお話します。食口の皆さん!祝福の人生を生きたいと願うならば、私たちは霊的な力を鍛える方法を学ばなければなりません。どのようにすれば、霊的な力を鍛えることができるでしょうか?皆さんが認識していようといまいと、皆さんの力と能力は、生活を通して形成されたものです。数多くの挑戦と試練の中で得られた小さな勝利が積もり積もって形成されたものです。

どのような考えをし、どのような言葉を話し、どのような行動をするかによって、私たちはささやかだけれども大切な勝利を得たり、小さな敗北をしたりします。そのような勝利と敗北が集まっていけば、やがて大きな勝利と大きな敗北になるのです。私たちが小さな勝利の持っている大切な意味を認識し、そのような勝利を絶えず勝ち取っていくことができるならば、私たちの霊的な力はより強まるでしょうし、祝福の人生を生きることができるでしょう。

『世界経典』の教え

今週も、世界経典に出ている聖人聖者たちの教えを一緒に分かち合う時間を持ちましょう。まず、新約聖書のマルコによる福音書10章27節のみ言を一緒に読んでみます。“人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである”。神様は全知全能であられます。私たちは神様を父と呼び、侍っています。私たちには人生で、最も強固な霊的後援者がついているのです。神様こそ、私たちにとって最も強力な霊的力なのです。

次に、儒教の経典の中で、詩経254編を見てみます。“天帝(キリスト教でいう神様を意味)の裁きは畏れ多い。自分の喜びだけを見つめて追われないようにしなさい。天帝は知恵深い方であり、常にあなた自身と、あなたの行動をはっきりと見つめている。”

次に、イスラームの経典であるコーラン5章120節を調べてみます。“天と地と、その間の一切の事物は、アッラーの大権に属する。かれは凡てのことに全能であられる。” (日本ムスリム協会発行 「日亜対訳・注解 聖クルアーン(第6刷)」より)

最後に、真のお父様のみ言を一緒に訓読してみましょう。“霊的な力が自分に臨んで生心的起源にさえなるようになれば、心と体が自然に一つになるのです。そのような根本から革命が起こり、根本から是正する根源を発見できない限り、我々は理想を訪ねていく道理がありません。”(『地上生活と霊界』P.240) お父様は生心的な起源、すなわち神様と連結された、霊的な力を強調されます。これが正に、心と体を自然に一つにするのです。

肉的な筋肉発達と霊的な筋肉発達

ウエート・トレーニングをしながら筋肉を鍛えるプロセスを調べてみると、私たちが普通考えているのとは全く違う形で筋肉が発達していることが分かります。運動をすれば、筋肉組織はいったん引き裂かれ、損傷するという過程を経ます。例えば登山をした後、足が痛くなるという経験をした方は多いと思います。これは筋肉の中に、微細な外傷ができたということなのです。もしこのような状態で皆さんが続けて運動をすれば、筋肉損傷の状態が継続し、結局筋肉が萎縮して体が弱くなってしまうのです。しかし運動をした後、筋肉に充分な休息を与え、たんぱく質を摂取すれば、いわゆるたんぱく質合成過程を経て、損傷した筋肉組織が新しく代替するのです。そのようなプロセスを反復すれば、筋肉の損傷を防げるほどの大きさに、筋肉が発達するのです。

霊的な筋肉の発達も、同じ原則が適用されます。私たちは毎日、認識していようといまいと、霊的な筋肉を使用しています。もし皆さんが自らに対して否定的な思い、例えば“私は醜く、能力がなく、愚かな人間だ”というような思いを持てば、皆さんの霊的な筋肉は損傷するのです。ですから皆さんは、このような状況で霊的筋肉をより鍛え、再建するための努力をしなければなりません。否定的な思いを追い出し、信仰と信念に満ちた言葉を使用しなければなりません。“神様!あなたは私に無限なる創造力をくださったということをよく分かっています。なぜなら、私は創造主であるあなたの形状に似て生まれたからです”、“神様!あなたは私の人生の貴い意味について、確信を持っていらっしゃいます。ですから私がこの地に生まれることができたのです”、“神様!私は天が許してくださった祝福の人生を生きてみせます”。 皆さんがこのような肯定的思いを基にして霊的筋肉を鍛錬していくならば、堕落した天使長(サタン)は決して皆さんを敗北の道へと誘っていくことはできないでしょう。

武道の道

武道の世界には、このような格言があります。“一度の修練を終えた後に、数千回攻撃をしてくるのは怖くない。しかし、数千回の修練を終えた後に一度攻撃してくるのは、真に恐ろしい。” 数千回修行した後のたった一度の攻撃が恐ろしいのは、修行の過程で得た多くの悟りと勝利が、その中に蓄積されているからです。真なる武術人は、戦いの中のたった一度の動作で、相手を制圧することができるのです。日本剣道の大家たちは、試合で一種類の動作を反復するだけで、相手を制圧することができます。彼らはこのように話します。“本当の武術の大家は、最も基礎的な攻撃を完全に習得した人間である。” 彼らはいくら多くの人々がいたとしても、たった一つの必殺技のみですべてを制圧することができるのです。

人生も同じです。皆さんが自分の中におけるたった一つの心、つまり‘勝利の心’を集中的に訓練するならば、剣道の大家がそうであるように、どんな敵にも打ち克つことができるのです。‘勝利の心’は皆さんが挫折したり、絶望するような困難な環境と状況においても、それを克服できるようにしてくれるでしょう。

人間が持っている進化論的利点

ハーバード大学で心理学を教えているギルバート博士は、それぞれの生物種が持った進化論的利点について、猿を例に挙げながら説明しています。ところで、一つ確認しておきますが、私は当然、創造論を信じています。しかしここでは科学的な例話を引用するにあたって、科学用語である進化論的利点という表現を使います。

猿は棒を折って、アリの穴に入れてつつきながら、出てくるアリを取って食べます。このような簡単な道具を使うことができる能力が、正に猿の持っている進化論的利点です。ところで、他の生物種と比較してみる時、人間は正に最も偉大な進化論的利点を持っているといいます。人間の肉身自体は、他の動物のように強靭ではありません。ライオンやトラのような肉食動物のように、鋭い牙や爪を持っているわけではありません。象のように巨大でもないし、ワシのように空を飛び回るわけでもありません。一般的には、人間が持っている利点について、自覚能力、火を扱う能力、武器を作って違う動物よりも強い力を持つようになったことなどを挙げます。しかしギルバート博士は、人間の進化論的利点について、少し違う意見を提示しているのです。彼は、“未来について考え、心配し、これに備える能力”こそ、人間が持っている最も大きな進化論的利点だというのです。このような利点のゆえに、人間は自分を保護する武器を作り、寒さに打ち克つことができる火を発見し、住むことができる家を準備し、共同体を築きながら、法と制度を生み出したというのです。

皆さんがもし未来の困難と失敗について心配しているとすれば、それは皆さんが持っている進化論的利点の一部を使用しているということです。しかし、心配だけしているのであれば、それはおそらく意味がないでしょう。皆さんには未来に備える能力、言い換えれば問題を解決する能力があるという事実を忘れてはいけません。

人間は常に、不確実な未来に対して心配しています。私たちに信仰が必要なのは、正にこのような理由からです。信仰を持つということは、皆さんが全く何の心配もなく生きることができるということを意味するのではありません。あくまでも心配や不安に陥りながら生きはしないということであり、希望を持って生きるということを意味するのです。神様が共にいてくださるという信仰、神様が皆さんにくださった力と才能に対する信仰、未来と家族に対する信仰があれば、皆さんは不安と心配から抜け出し、希望を抱くことができるでしょう。皆さん自らに動機を賦与することができるでしょうし、さらに創造的な能力を発揮することができれば、試練と苦難を越えて良い結果を得ることができることでしょう。皆さんがもしそのように生きることができれば、皆さんに与えられた5%の責任分担を果たすことになるのです。残りの95%の責任は、神様が満たしてくださるでしょう。神様が私たちを祝福の人生に導いてくださるでしょう。

武術修練と勉強の共通点

私は高校時代、武術がとても好きでした。特にブルース・リーは私にとって、アイドルのような存在でした。私は頭のスタイルから服装までブルース・リーを真似していました。学校が終わると、ブルース・リーが主演した映画のビデオを見ながら、その通りに真似しようとしました。私の頭の中は、武術に関することしかありませんでした。すべてのエネルギーを武術修練に集中したので、学業は忠実に行うことができませんでした。

私が大学に進学した後、榮進兄が学習指導をしてくれるようになりました。榮進兄は私が学校で出される課題をまともにしないでいることに気がつきました。これが、正に私が直さなければならない第一の悪い習慣でした。榮進兄は私にこう言いました。“学校の課題物をするというのは、武術修練と似ているんだよ。武術の試合で勝つために一生懸命修練をするように、良い成績を出すために学校の課題物を忠実にこなさなければならないんだ!” 榮進兄がこのように説明してくれて、私の勉強に対する観点が完全に変わりました。“勉強するというのは、結局、武術訓練と一緒なんだなぁ!”と思ったのです。宿題という学習苦錬を完璧にやり遂げることによって、試験という戦闘に臨むことができる技術を完璧に習得することができるのです。

牧会の道を歩みながら

牧会を始めた時、私は今ほど牧会に対する信念が強いものではありませんでした。世間の人々に会って“どのような仕事をしているのですか?”と尋ねられれば、堂々と“統一教会の牧師です”と言うことができないこともありました。その言葉をいうのが、負担に思われる時もありました。そしてこんなことも思ったのです。“真のお父様は、私たちのことを単純な宗教団体ではないと言われた。それなのに、わざわざ私が統一教会の牧師だと言う必要があるだろうか?単純に、平和大使だと言えば、もっと楽じゃないか”、“真のお父様は、完成した世界においては宗教が必要ないと言われた。ならば、私が必ずしも牧会の道を歩まなくてもいいのではないか?”

最初の考え方は、明らかに間違っています。なぜなら、統一教会は真の父母様に根を置いた信仰の伝統を持っているからです。もしこれを否定するならば、真の父母様を否定することになり、統一運動のために犠牲となったすべての食口の人生を無価値なものにしてしまうのであり、今現在、信仰生活をしながら堂々と社会と向かい合っているすべての食口の生き様を虚しいものにしてしまうのです。

二番目の考え方も、やはり間違っています。私たちは今、完成した世界に住んでいるわけではありません。ですから、私たちには絶対的に信仰が必要なのです。霊的により成熟し、霊肉共に祝福を受ける人生を生きるためには、私たちがこの地上で一生懸命信仰生活をしなければならないのです。

牧会や修行をしながら、私の霊的な力が強まることを感じています。“本当の意味で、私は誰なのか”に対するより強い確信を持つようになりました。私はより真実で、純粋な、深い霊的伝統を追求するようになりました。今、誰かが私の職業が何かと尋ねるならば、堂々と、そして平安な気持ちで、“統一教会の牧師である”と答えるでしょう。

金壽煥(キム・スファン)枢機卿 追慕

去る2月16日、カトリック教会の金壽煥枢機卿が終油(※訳者注:死を間近に迎えた者が安らかに天国へ召されるために行われる儀式。臨終の時に告解をし、罪を許された状態で亡くなること)されました。私はカトリック教会の指導者として最も尊敬を受けている金壽煥枢機卿を弔問するために、明洞聖堂を訪問しました。弔問に行く前、私はカトリックの関係者の方に、枢機卿のための花を贈って礼を尽くしてから弔問したいという旨を伝えました。しかし、関係者の方は花を受け取らないというのです。私は、ひょっとしてカトリックと統一教会では神学的な見解が大きく違うから、弔問も許してくれないのだろうかと心配しました。しかし、弔問については、開かれた心で私たちの意向を受け入れてくださいました。

枢機卿のところへ弔問に出向いたのは、16日の夕方でした。明洞聖堂の外には、数千名の弔問客が列を作って待っていました。私たちは明洞聖堂のスタッフの案内を受け、素早く入り口へと移動しました。そして芳名録に、「統一教会代表 文亨進・李妍雅」と書きました。スタッフは私たちに黒いリボンをつけ、枢機卿が安置されているガラス棺のすぐ前の場所に案内してくれました。私はこのような歓待を受け、とても感動しました。周りの人が、私が前に進む時に“あの人は統一教会の文鮮明総裁の息子だ!”とささやいているのが聞こえました。私は統一教会の代表としての誇りと自負心を持って、平安な心で行動しました。そして私が今までカトリックとの因縁を通して学んだすべてのことに感謝しながら、偉大な宗教指導者である金壽煥枢機卿に対して礼を表しました。

過去4ヶ月間、私と一緒に精誠を捧げている方たちは、早朝精誠の時間に明洞聖堂に立ち寄り、イエス様と聖母マリアに祈祷しています。それは小さな信仰の基台でしょうが、私たちがお互いにつながることができるように協助してくれていると思います。そのような霊的な基盤があったので、私と一行は明洞聖堂においてとても平安な気持ちで過ごすことができました。謙遜になることができ、カトリック教会の方たちも兄弟のように近づいてきてくれました。霊的な基台、霊的な力は、このように私たちを強くしてくれ、感謝の気持ちを持つことができるようにしてくれました。

真のお父様の霊的な力: 感謝

真のお父様は獄中で生活される時、どんな状況でも決して恐れませんでした。絶えず感謝され、祈祷されました。生きているということ自体に感謝されたのです。心配や疑念、不信の気持ちが湧くたびに、お父様はさらなる修行に集中されました。拷問を受けられる時も、戦争から避難する途中で飢えや命の危険にさらされても、お父様は天を絶対的に信じられ、未来に訪れるであろう善なる戦いと挑戦に備えながら、霊的な力を育まれました。お父様は常に勝利者の心と霊魂、そして不屈の勇気を持っていらっしゃったのです。

真のお父様は決して、ご自身が何者であるかということを隠されませんでした。人類を神様の懐に導くためにこの地に来られたことを、全人類の前に宣布されました。九旬(90歳)を迎えられた今も、お父様は毎日絶対信仰で、神様の国と義のために戦っていらっしゃいます。夢と希望、そして強靭さをもって、前進していらっしゃるのです。

今日の教訓

食口の皆さん!今日私たちは、何を学ぶことができましたか?人生において、小さな勝利を大切にし、積み上げていく方法を学んでください。このような人生の姿勢を備える時、皆さんは大きな勝利を得ることができるでしょう。これは皆さんの霊的な力を鍛えることになるでしょう。

また、私たちは肉的な筋肉を発達させるプロセスを学びました。霊的な筋肉も同じです。どこにいても、何をしていても、常に勝利者の心を持ってください。そして皆さんの思いを訓練してください。皆さんの能力を疑い、未来を疑ったり心配したりする気持ちが湧くたびに、それを訓練の機会と定めてください。

神様と真の父母様を絶対的に信じることによって、敗北者の思いを勝利者の思いに変化させることができます。人間的には道が見えなくても、神様が共にいらっしゃれば、すべて成すことができます。敗北者の思いを勝利者の思いに変化させるということは、私たちの霊的な力と筋肉を鍛えるということを意味するのです。

このように、私たちの霊的な力を強化するならば、私たちはより多くの勝利、より多くの悟り、より多くの平和を得ることができるでしょう。祝福の人生を生き、この世界により多くの祝福を分け与えることができる誇り高い食口になることができるでしょう。皆さん!このメッセージを受け取ってくださるならば、真の父母様に大きな栄光の拍手をお捧げしてください。