亨進様 天一国食口礼拝 2008年7月6日
天一国食口礼拝 2008年7月6日 亨進様の説教 “救世主の心情で生きてください”(Daum Cafe MBUの掲載記事を翻訳、整理)

韓国語の原文はこちらから↓(???? ?? ? ????.)

http://cafe.daum.net/chdmbu/68cZ/187

私たちが祝福の人生を生きるためには、救世主の心情を実践することがとても重要になります。真のお父様は1991年7月1日、七・一節を宣布されながら、祝福家庭を‘氏族的メシヤ’として任命してくださいました。

神様が私たちを創造された時、私たちの幸福だけではなく、他の人たちを助けることができる存在になるよう、私たちを創造されました。神様は心から、私たちがこの世界で祝福された人生を生きることを願われています。

皆さん!神様は、お父様が16歳(数え)になった年に、お父様に救世主の使命をくださいました。真のお父様はその使命に対して、恐ろしい気持ちを持たれたかもしれません。お父様は心の中で、このような考えを持たれたかもしれません。

“どうやって私がこの世界を救うことができるのでしょうか?世界はあまりにも大きく、広いです。どうやって一人の人が、この世界を変えられるでしょうか?どうして私が、やがて来られるというその方になることができるでしょうか?”

また、お父様はこのように、神様に尋ねられたかも知れません。“神様、なぜ私を選ばれたのですか?どうして私のような不足な人間を選ばれたのですか?”その時神様は、お父様に“あなたしか、できる人はいない”と語られました。神様は懇切な心情で、3回にわたってお父様に尋ねられました。そしてお父様は天の召命を受け、全人類を救い、神様の心情を解放してさしあげる救世主の道を歩むことを決心されたのです。

感動的な話を一つ聞いたのですが、ある冬の日、数百人の乗客を乗せた列車が、野原を走っていました。その列車は、すぐ美しい湖の上に敷かれたレールの上を通り過ぎるようになっていました。ところが、雪によって、湖の上のレールが崩れる事故が起こりました。ある男性がその事故の光景を目撃したのですが、遠くから列車の音が聞こえてきます。レールの方向を変えなければ、列車に乗っている数百名の乗客は、命を失ってしまうでしょう。

幸いにもその男性は、レールを変更するボタンを発見しました。そのボタンさえ押せば、列車の経路が変更され、多くの人たちの命を生かすことができます。男性はボタンのある所まで走っていきました。列車が見え始めたので、男性は急いでボタンを押そうとしました。ところがその時、経路を変えた列車が通り過ぎるレールの上で、彼の一人しかいない3歳の息子が遊んでいるのが見えました。

食口の皆さん!この男性が直面しているジレンマを考えてみてください。ボタンを押せば、レールを変更でき、数百名の命を救うことができますが、愛する息子を失うことになるのです。逆に、ボタンを押さなければ息子を守ることができますが、列車は冷たい湖に落ち、無辜の数百名の犠牲者が出るでしょう。皆さんはどのようにされますか?ボタンを押しますか?

話の中で、男性は神様を、彼のたった一人の息子は真のお父様を比喩したものです。私が今回、日本を訪問した時、食口の方たちに“神様はどのような決定をされたでしょうか?”と尋ねると、日本の食口たちは、“ボタンを押されたと思います”と答えました。皆さん!神様がそのボタンを押された時、どれほど心が痛かったか、深く考えてみてください。目をつぶって考えてみてください。息子を死の道に送る父親の心情は、世界で最も大きな罪を負った罪人の心情と同じでしょう。列車が子供を轢いた時、子供が叫ぶ悲鳴の声は、父親にとって永遠に忘れられない痛みであり、苦痛となるでしょう。父親が感じる自責の念はどれほどでしょうか?父親にとってその瞬間は、最も深く、苦痛に満ちた地獄であったでしょう。

皆さんの予想通り、神様はボタンを押されました。そしてとても息子がいる場所を見つめることができず、目を閉じられました。少し後、神様は目を開けて、列車が通り過ぎたレールを見ました。ところが、とてつもない奇蹟が起こっていました。息子が大きな列車を止めて、その列車を持ち上げていたのです!

皆さん、その瞬間、神様が感じられた喜びと幸福を考えてみてください。どれほど心が安らいだでしょうか?どれほど息子のことを誇り高く思ったでしょうか?このように、神様さえも不可能だったと思われたことを、真の父母様が成し遂げられました。天宙的な勝利を神様に奉献され、神様の心情を解放されました。真の父母様の業績は、誰もが認める、客観的な出来事です。どんな宗教も、創始者の当代に統一教会ほど世界的な基盤を作ることはできませんでした。

食口の皆さん!真の父母様が私たちを氏族メシヤとして祝福してくださいました。私たちがたとえ、真の父母様のように天宙的次元の救世主になれなかったとしても、氏族メシヤの道を行くことができます。ところで、どのようにすれば私たちは救世主の心情を持つことができるでしょうか?それは、正に神様が私たちに下さった偉大さを信じることによって可能となるのです。私たちは、自分の中にある救世主の心情を発見することができるのです。

おそらく、皆さんが、それが可能だと信じなくても、また、全ての人が“おまえは失敗するだろう”と言ったとしても、神様は皆さんに対する期待を捨てはしないでしょう。神様が皆さんに、偉大な潜在力をくださったということを忘れないでください。神様は私たちを勇敢で、力強く、また能力があって創造的で、知的で、この世界の‘誰か’を救うことができる人物として創造されました。

ここで‘誰か’とは、皆さんの子女であったり、皆さんの父母であったり、皆さんの友達や親戚であったり、皆さんの職場の同僚であったり、皆さんの信仰の子女であったりするかもしれません。皆さんによって、この世界の誰かが救いを受けるでしょうし、皆さんの助けによって、その人は神様が祝福された人生を生きることができるでしょう。

私は、スタンフォード病院で奉仕活動をしている方から、‘リズとアレックス’の話を聞きました。当時、リズという10歳の少女は、ある稀で深刻な病気にかかり、苦しんでいました。リズが健康を回復することができる唯一の道は、5歳の弟であるアレックスから輸血を受けることでした。アレックスは、2年前にリズと全く同じ病気にかかったのですが、奇跡的に回復したのです。アレックスの身体には、その病気に打ち勝つことができる免疫抗体が作られていました。

医者は、アレックスに状況を説明し、お姉さんに輸血をしてあげられるか尋ねました。幼いアレックスは少し躊躇しましたが、医者に“お姉さんを救うことができるなら、そうします”と答えました。その後、リズのベッドの横に、アレックスは寝そべりました。二人の間で輸血が行われている間、リズとアレックスはお互いを見つめて、微笑みました。輸血を終え、リズの顔には生気が戻ったようでした。ところがアレックスの顔が蒼白になり、微笑みも消えたのです。

アレックスは医者を見て、尋ねました。“先生!私はすぐ死ぬのでしょうか?”アレックスは医者の言葉を誤解したのです。輸血をしたからと言って、生命に異常はありません。しかしアレックスは、自分の血を全部リズお姉さんに輸血しなければならないと思ったのです。命を懸けて姉を救おうとしたのです。

幼いアレックスの気持ちは、とても感動的なものでした。もちろんある人は、子供はとても純真で、何も知らないからそのようにできるのだろうと思うかもしれません。しかし、‘私’の生命を犠牲にして他の人を救おうとしたのは、とても高貴な、救世主の心情だということができるでしょう。

戦争や飢餓、国家的な危機、もしくはリズのように、生死の境目にいる人には、犠牲的な英雄が必要です。しかし、そのような特別で極端な状況だけでなく、私たちの日常でも、救世主の心情と実践が必要なのです。

本部教会に出席する韓日家庭の話ですが、少し前、ご主人が大きな病気を患い、入院しました。3ヵ月半ほど入院して治療を受けたのですが、状況が良くならず、その方は植物人間になってしまいました。医者は日本人の奥さんに、夫は回復することができないと言いました。親戚たちも、もう状況がとても難しくなったので、夫の生命維持装置を外し、経済的な負担だけでも減らしなさいと言いました。夫人は、悩んだ末、本部教会に訪ねてきて、金ガビョン牧師に状況を説明し、相談しました。

金牧師は、その日本食口に、“亨進様と本部教会いの牧会者食口たちが毎日朝の3時から特別精誠を捧げているので、もう少し耐えて、待ってみよう”と話されました。教会では難しい状況にある韓日家庭を助けるために特別献金を集め、渡してあげました。そうしながら、時間が流れていきました。

3週間前、祈祷をしてから、その週に訪問をする家庭を選んだのですが、偶然にもその韓日家庭が選ばれました。ご主人がまだ病院に入院していることを知っていたため、訪問する家庭をもう一度選ぶのはどうかと言う人もいました。しかし私は、“いや、病院に訪ねていきましょう”と言い、家庭訪問日に、牧師の方たちと一緒に病院を訪問しました。ところが、病院で私たちはとても驚くべき奇蹟に出会ったのです。

3ヶ月前には植物人間状態だと診断されたご主人が、私たちが訪問した日には、言葉も話され、一人で歩いてトイレにも行くことができたのでした。奥さんに、夫は絶対に回復しないだろうと話した医者は、顔を上げることができませんでした。

食口の皆さん!その夫人には、夫を生かそうという救世主の心がありました。もしそれがなかったならば、夫の回復を待つことはなかったでしょう。その夫人は、“真の父母様が結んでくださった夫である。一緒に生活しながら、難しいこともあったし、お互いを傷つけた記憶もあるけれど、感謝する時の方がもっと多かった。夫なくして、私は生きることができない。誰が何と言おうとも、私は夫を放棄しない”と決心し、祈祷しながら待ったのです。すると神様が役事してくださいました。愛によって、夫を手厚く看病してあげた妻は、夫にとって、メシヤのような存在でした。私はご主人に、“あのように素晴らしい奥様を持たれて、誇り高いのではないですか?”と尋ねました。彼はうなずきながら、“はい、その通りです”と答えました。彼の目には、感謝の涙が流れていました。

今、一緒に礼拝を捧げている方の中にも、医者から“回復の見込みがない。もう何ヶ月かしか生きることはできないだろう”と、余命を宣告された方もいるでしょう。その方たちは、“私がもし勇気を出して最善を尽くしたとしても、病気に打ち勝てないで霊界に行ってしまえば、何の意味もないではないか!”と考え、あきらめようとしているかもしれません。しかし、どのように死ぬかということも、とても重要なことです。

少し前、アメリカの有名な法律会社で弁護士として働いている2世に会いました。彼のお父さんは、教会の中でとても尊敬を受けている、素晴らしい牧師でした。彼は私に、父親に関する大切な記憶について、話してくれました。

“私の父は牧師でしたが、肺癌で余命宣告を受けました。癌によって、とても苦しんだはずですが、父は自分の苦痛を忘れ、いつも真のお父様を考えながら、‘真のお父様が私を待っている。私は病気に勝たなければならない。私はそれができる’と言いながら、最後まで闘病生活をされました。”

彼の父親は強い意志で病気と闘いましたが、結局肺癌に勝つことができず、まだ若いのに昇華されました。ある人は、この話を聞いて、“そうだ、いくらやっても、ダメなものはダメなんだ。あきらめなければならないことは、あきらめなければならないんだ”と言うかもしれません。しかしその2世は、私にこのように言いました。“父は私たち子供に、最後まであきらめない、武士のような心を見せてくれました。それは父の人生の大切な遺産として、私たち子供に相続されました。私も簡単にあきらめずに、最後まで努力したため、難しい試験を通過することができ、このように成功することができました。私たち兄弟が硬い意志を持って、各自の人生を開拓することができたのは、皆、父が相続させてくれた心のおかげです。”

私はその方の話を聞いて、孝進兄の言葉を思いました。孝進兄は、“私たちはよく生きなければならないが、よく死ぬことも、やはりとても重要なことだ。”とおっしゃっていました。

もし、霊界に早く行かなければならない状況ならば、私たちはどのような遺産を残さなければならないでしょうか?恐れに震える、敗北者の姿ではなく、その2世の父親のように、不屈の闘志と勇気を遺産として残すことができなければなりません。神様はその牧師を肺癌から救われませんでしたが、牧師の子女を素晴らしく成長させてくださったのです。さらに嬉しいことに、霊界にいらっしゃる牧師が役事して、息子を牧会の道へ導かれたということです。その2世は、少し前、本部教会に訪ねてきて、私に牧会の道を行く決心を伝えました。過去10年間、アメリカで社会的に大きく成功したのですが、お父さんの願いに従って、これから全てのものを整理し、牧会をすると話していました。

食口の皆さん!無駄な勇気というものはありません。未来に向かう夢と希望で、人生を堂々と生きる時、皆さんはより多くのものを成し遂げることができるでしょう。たとえ全てを成せなかったとしても、素晴らしい人生の遺産を、子女と周りの人たちに相続させてあげることができるでしょう。それは、‘私’ではない、他の人の人生をより輝かせてあげることになるでしょう。

私たちは日常的な生活の中でも、救世主の心情を実践することができます。私が知っている専門警護員の方がいるのですが、その方は一日に一つずつ、親切な行動をしようと思っています。バスでは歳をとって、動くのが大変な方たちに席を譲ってあげます。道でホームレスに会えば、サンドイッチを買ってあげます。小さなことですが、人に対する愛と配慮が込められているこのような行動は、正に救世主の心情を実践することだと見ることができるでしょう。

英雄になることを夢見るより、このように日常生活から暖かい気持ちを実践してみましょう。お父さん、お母さんに電話をして、“愛しています”と言ってみてください。スーパーマーケットの店員に、“ありがとうございます、お疲れ様です”と言ってみてください。ほうきを持って、朝早く町の掃除をしてみてください。お世話になった人たちに、感謝の手紙を書いてみてください。このような小さな実践一つ一つが、世界をより明るくするでしょう。小さなことから、救世主の心情を実践してください。その精誠が積もりに積もれば、皆さんの人生の、大きな資産になるでしょう。

私が麻浦教会で牧会を始めた時、朝の精誠をした後、訓読会まで時間的余裕ができました。ですから、教会の近くにあるセブンイレブンに行きました。私たちは普通、朝の4時45分にお店に入るのですが、いつも一人の女性が働いていて、その息子と思われる中学生の子供が、お母さんを助けていました。学校生活も大変で忙しいのに、こうやって側でお母さんを手伝っている子供は素晴らしいと思って、“こうやってお母さんを手伝うの、大変じゃないの?”と尋ねました。するとその子供は、“夜にどんな人が店に入ってくるのか分からないから、お母さんを守らなければならない”と答えました。小さい子供でしたが、本当に貴い心情で、お母さんを手伝っていました。このような気持ちが、正に救世主の心情です。私はこの子供から、大きな感動を受けました。私はその子のお母さんに、“本当に息子を素晴らしく育てましたね。うらやましいです。素晴らしいお母さんです”と言いました。すると、彼女の顔が明るく輝きました。本当に幸せそうに見えました。セブンイレブンを出ながら、私は息子の美しい心を通して、救世主の心情を改めて悟ることができました。

多くの方たちが、人生の大きな変化を願っています。しかし、大きな変化とは、小さな変化一つから始まるのです。私たちの言葉一言、行動一つが、‘私’に、そして他の人たちに驚くほど大きな意味を与えることができるということを覚えていてください。

私は今年、とてつもなく大きくて重要な、公的な位置に任命を受けました。しなければならないことがあまりにもたくさんあります。ある時、私は、“とても大きな責任を持っているのに、一つの職責も満足にできないでいる。とても頭が痛く、ふらふらする。あちこちから来いという話がとても大きい。本当におかしくなりそうだ”という思いに駆られ、大変な時がありました。しかしそのような恐れと否定的な考えが湧くたびに、私は就任式の時、お父様がくださったみ言を思い返します。“恐れるな。多くの人たちがあなたを助けてくれるだろう。”

私にとって、お父様のこの一言の激励が、どれほど大きな勇気をくれるのか、皆さんは分からないでしょう。私が負わなければならない荷があまりにも重く、未来に進んでいく勇気を持てない時、お父様の激励のみ言は、全ての恐れを振り払い、私が前に進むことができる力になります。恐れの瞬間に、地面へ頭を伏せるダチョウではなく、あの高くて広い空を飛び回るワシになれるようにしてくれます。

食口の皆さん!神様は私たちの小さな行動一つで、大きな変化を起こされます。皆さんは自分を小さく、微々たる存在だと考えるかもしれませんが、神様と真の父母様は、皆さんを、世界を変化させることができる偉大な潜在力を持った存在として見つめていらっしゃいます。この世界に驚くべき奇蹟を起こすことができる存在として見つめていらっしゃいます。

小さな日常から、救世主の心情を実践してください。皆さんは‘誰か’の救世主になることができます。私たちの暖かい実践は、いくら小さなものだとしても、‘私’と周りの人たちを変化させ、私たちみんなの人生により多くの勝利、より多くの悟り、より多くの平和を充満させてくれるでしょう。真の父母様が祝福してくださった人生を生きることができるでしょう。皆さんがこのメッセージを受け取ってくださるならば、真の父母様に大きな拍手を捧げてください。 >