亨進様 天一国食口礼拝 2008年12月28日
天一国食口礼拝 2008年12月28日 亨進様の説教 “恩寵の力”(Daum Cafe MBUの掲載記事を翻訳、整理)

韓国語の原文はこちらから↓(???? ?? ? ????.)

http://cafe.daum.net/chdmbu/68cZ/228

今日は“恩寵の力”というテーマでお話ししたいと思います。食口の皆さん!本当に私たちが祝福の人生を生きることを願うならば、“恩寵の力”について理解しなければなりません。神様の恩寵は、受動的に与えられるものではありません。それは、世界を動かし、変化させることのできる神様の力なのです。

世界経典:神の恩寵

『世界経典』(WORLD SCRIPTURE)で、神様の恩寵について語っている箇所を一緒に調べてみましょう。聖書のコリント人への第一の手紙10章13節には、このようなみ言があります。“神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。” 神様は決して、私たちが耐えることのできない試練をくださることはありません。また、試練を受ける時、それを乗り越えることのできる道を見せてくださいます。神様の恩寵の中にいる限り、私たちは常に勝利するのです。

イスラームの経典である「コーラン」の12章には、“神様は最も素晴らしい保護者であるから、恵みがある者に恵みを施される”という一節が出てきます。やはり、神様は恩恵の主であられることを強調しています。

仏教の経典である「法華経」の5章を見てみましょう。“釈迦如来がこの世に現れることを例えて言うならば、大きな雲が一切全てを包み込むことのようである。すべての飢え渇いた存在に、生命の雨を降らせ、豊かにさせるのである。” 釈迦如来、すなわち仏陀を恩恵の慈雨として表現しているのです。

最後に、真の父母様のみ言を見てみましょう。み言選集18巻の66ページで、お父様は次のように語っておられます。“神様は宗教を立てて何をされようとするのでしょうか。外的な環境に対比される恩賜を与えようとされるのです。与えるのには、ただ与えてくれるのではありません。精誠を捧げれば与えてくださるのです。その国の国運を左右する君主が精誠を捧げる以上の精誠を捧げなさい。命を懸けて精誠を捧げなければならないというのです。精誠を捧げるようになればどのようになるのでしょうか。神様の恩恵が来るのです。祈祷生活をしてみた人は分かるのです。祈祷生活をするようになれば、大きくて偉大な力が来るのです。ですから祈祷する人の目はその力によって、肉界だけでなく霊界までも透視するのです。”

真のお父様も、神様を恩恵の神様だと語られます。さらに、お父様は神様の恩恵を受けることのできる方法についても語られているのです。それが、正に祈祷と精誠です。

人間が持っている限界が与えてくれる悟り

人間は誰でも、肉身的な限界を持っています。もし息ができなかったり、飢えが続けば、死んでしまうでしょう。また、続けて睡眠をとることができなければ、精神的な問題が生じるでしょう。物理学の学者には、宇宙には1次元から11次元までの世界があり、人間は3次元に住んでいると主張する人もいます。人間の肉身は、この3次元の世界を超越して存在することができません。このように、人間は明らかに限界を持った存在なのです。

しかし人間が持っている肉体的な限界を認めるということは、決して悪いことではありません。なぜなら、謙遜な心で、絶対者であられる神様のくださる恩恵と恩寵を感じることができるからです。天の御旨、神様が‘私’にくださった祝福の道があることを悟らせてくれるからです。

宗教的修行の始まり

私は幼い頃、武術がとても好きでした。また、武術映画も好きでした。特に、ブルース・リーがとても好きで、部屋のあちこちに写真を貼り付けていました。ある時、真のお母様が、私の部屋がブルース・リーの写真ばかりで溢れているのを見られ、“亨進、父母の写真も少しはかけないの?”と言われるほどでした。

私は武術の修練を一生懸命し、アメリカンフットボールも熱心にしました。そしてある時は、このように修練と訓練をたくさんしていれば、私の体はもっと強くなり、天下無敵になることができると考えました。しかし、訓練をする度に、私は足、腕、首など、あちこちを痛めてしまったのです。そうして、私の肉体には明らかに限界があるということを悟ったのです。

また、榮進兄が昇華した時、私は人生を新しい視点で見つめるようになりました。いくら健康で知恵深い人でも、いくら若かったとしても、突然霊界に行くこともあるのだという事実を知ったのです。

このような事実を悟った後、私は心の平和と安定を見つけることのできる何かを探し始めました。宗教を勉強し、霊的な修行の道を歩み始めました。真の父母様のみ言が新鮮に感じられ始めました。その宗教的な教えは、私に大きな力と霊的な感動を与えてくれました。心の平和を得ることができ、人生に対する真の希望を感じることができるようにしてくれました。私はこのようなみ言こそが、神様の恩恵であり、恩寵であるということを悟ることができました。

讃美(歌)の驚くべき力

私が高校生だった頃、黒人の友達が私のことをとても気に入ってくれました。黒人は幼い頃からカンフー映画をたくさん見ています。だからブルース・リーのように、武術ができる私には、相当たくさんの黒人の友達がいました。ところで、大部分の黒人は、福音聖歌(ゴスペルソング)の伝統が強い教会に通っています。黒人が中心になっている教会に行ってみれば、讃美(歌)が礼拝の最も中心的な部分であることが分かります。声を上げて踊り、神様を讃美するのです。

皆さんもご存じのように、黒人は約400年ほど前、アフリカから動物のように売られ、アメリカに連れてこられました。奴隷として悲惨な生活をしていた黒人は、福音主義教会の讃美(歌)文化によって慰労を受けました。情熱的に神様を讃美することによって、聖霊が臨在することを感じ、試練と苦難に打ち克つ力を得たのです。

ある有名な黒人牧師が、このような話をしていました。“人生で試練と苦難に出遭った時、サタンの攻撃によって困難で苦しい時間を過ごしている時、より情熱的に神様を讃美しなさい!” その方は、讃美(歌)こそ“神様がくださった霊的な武器”だというのです。讃美(歌)はサタンと悪魔を恐れさせる武器なのです。

サタンは私たちを打ちながら、“こいつはもう終わった。すぐあきらめるだろう”と考えます。私たちが挫折し、あきらめる姿を見たがるのです。しかし、私たちが放棄せずに、かえって感謝し、ハレルヤと高く讃美を捧げれば、サタンは“どうして、あれほど苦しい試練と苦痛の中でも神様を讃美することができるのだろうか?”と思い、当惑するでしょう。そして、神様はより大きな恩恵と恩寵を私たちにくださるでしょう。

苦難と試練の中でこそ、より大きく神様を讃美してください。神様を常に思い描いてください。神様が皆さんの讃美を聞いてくださるでしょう。そうすれば、サタンを追い払うことができるのです。

浄土真宗と親鸞

代表的な東洋宗教である仏教と言えば、瞑想と修行を連想します。肉身の平安と安楽を捨て、修行の道を行くイメージを思い浮かべます。しかし、仏教にも西洋宗教であるキリスト教のように、神様の恩寵に頼る伝統があるのです。浄土真宗では、“南無阿弥陀仏 觀世音菩薩”という念仏を懇切な気持ちで唱え、讃美するならば、死んだ後に苦痛の輪廻から自由になり、十方浄土、すなわち阿弥陀仏如来が衆生を救済するために準備したところに行くことができると教えています。

“南無阿弥陀仏 觀世音菩薩”で“南無”というのは、サンスクリット語の「ナマス」(namas)および「ナモー」(namo)からきた音訳の言葉で、それを意訳すれば「帰依する」という意味なります。また、ナマスを「ナマスカール」と言えば、「讃美します」という意味になるのです。そして、“阿弥陀仏”とは、十方極楽世界を造った仏のことです。したがって、“南無阿弥陀仏”というのは、阿弥陀仏を讃美し、阿弥陀仏に帰依するという意味なのです。そして“觀世音菩薩”とは、慈悲で衆生の苦しみを救済するという仏教の菩薩を意味します。

親鸞は、12世紀に日本で浄土宗の一種である浄土真宗を創始しました。彼は仏教の経典を読み、暗誦することが重要なのではなく、阿弥陀仏如来の救いの力を信じることが最も重要だと教えました。言うなれば、人間は全能ではなく、ただ謙遜な心で仏を信じて頼る時、苦痛から自由になることができるということです。

また、“南無阿弥陀仏 觀世音菩薩”と念仏を唱え続けることは、単純に自分だけではなく、それを聞く人のためでもあります。恩恵と恩寵とは、‘私’を超え、他の人にまで伝えられなければならないのです。これはまた、黒人教会の讃美(歌)の伝統と同じ脈絡だと見ることができます。

イエス様の祈祷

イエス様が十字架にかかって苦痛を受けられている時、ユダヤ民族はイエス様を見ながら、“おまえがユダヤの王か?”とあざ笑いました。そのような人たちに対して、イエス様はどのように語られたのでしょうか?“父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです(ルカによる福音書23章34節)”と語られました。

イエス様は十字架の苦難の中でも、自分自身のためではなく、自分を迫害する人たちのために天の恩寵を求めました。自分を嘲笑するローマの兵士のためにも、天の恩寵を求めました。地獄のような苦痛を受けている中でも、イエス様は神様の善をつかみ、怨讐を愛されたのです。

恩恵の瞑想

不毛な大地に雨を降らせる雲のように、神様の恩寵は高い者や低い者、強い者や弱い者でも、すべての者のためにあります。天の恩寵を受け、自分だけが大切にしまうのではなく、多くの人と分かち合うことができるならば、神様はより大きな恩寵をくださることでしょう。

ところで、人生を生きていると、私たちに反対して悪口を言う人々、私たちを傷つける人々に出会う時があります。このような時、私たちはどうしなければならないでしょうか?イエス様のように許し、愛し、抱いてあげることができなければなりません。これを実践するため、一つの訓練をしてみようと思います。

目をつぶってください。そして私たちを傷つけた人を思い浮かべてください。その人が声を上げ、怒りながら私たちを傷つけている姿をイメージしてみてください。しかし絶対に、その人に対応し、同じように怒ってはいけません。心を平和に、静かに保ち、イエス様のように祈ってみてください。“父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです”と。

彼らが誰かを傷つけるのは、誰よりも彼ら自身が不幸だからです。誰かに苦痛を与えて、どうして彼らが幸せになれるでしょうか?誰よりもまず、彼ら自身が苦痛を感じているでしょう。彼らが味わっている苦痛を考え、かわいそうに感じる心を持ちましょう。そして真実な心で、祈ってみましょう。“私はあなたによって、私の喜びをこれ以上、奪われはしないでしょう。私はあなたを許します。”

次に、このように祈ってみましょう。“あなたによって、私の時間をこれ以上奪われはしないでしょう。私はあなたを解放しようと思います。”最後に、このように祈祷を捧げましょう。“私はあなたによって、私のエネルギーをこれ以上奪われはしないでしょう。私はあなたが神様と真の父母様の名によって、苦痛から自由になることを願います。アージュ。” 誰かから傷つけられたならば、このような恩恵の瞑想をしてみてください。

許し、恩恵を施してください

とても多くの人々が、誰かの言葉と行動に囚われながら生きています。誰かが皆さんを嘲笑する時、怒って大きな声を上げる時、皆さん自身が、まず、許しの恩恵を施してください。皆さんを傷つけた言葉や行動を、再び思い描かないでください。皆さんが知っている人に、悔しかったり怒りを覚えた内容について、再び話す必要はありません。皆さんがそれについて考えれば考えるほど、話せば話すほど、皆さんの傷は、より深くなるでしょう。

もし毒の矢が刺さったら、最初に何をしなければなりませんか?矢を抜いて、毒を抜かなければなりません。皆さんがまず許し、恩恵を施してください。皆さんの喜びをいつも大切に守ってください。微笑みを浮かべ、前に進んでください。

私たちには神様がくださった大切な人生の目標があります。それはとても貴い、人生の宝石です。誰かの言葉と行動に囚われて生きるならば、皆さんは決して神様がくださった夢とビジョンを成し遂げることはできないでしょう。

謙遜な心と、ために生きる生活

天の御旨は、とても大きくて偉大です。人間の力だけでは成し遂げることができません。牧会をしながら、道が見えない時、私は神様に懇切な気持ちで祈祷を捧げます。“私に知恵をください。私に勇気をください。私に能力をください。” 謙遜な気持ちで神様に求めれば、天は皆さんと共にあるでしょう。神様の恩寵は、とても大きな力を持っています。神様が同行すれば、私たちは世界を変化させることができます。奇跡を起こすことができるのです。

一人で全てのことを成すことはできません。私は、このような事実をよく知っています。ですから私が受け持った機関や団体の運営に関しては、経営の専門家である國進兄の助言を求めます。また私は、困難や試練に遭う時、愛する祝司長様に祈ってくださいとお願いします。祝司長様の祈祷を受ければ、どんな難しい状況も打ち克つことのできる力を得ることができるのです。そして重大な決定をくださらなければならない瞬間に、恐れの気持ちが湧いたり、確信が持てない時は、神様に対して知恵をください、私の決定を祝福してくださいと祈るのです。

食口の皆さん!今、苦難と試練にいるとするならば、一人ですべての重荷を負おうとしないでください。天の愛と恩寵を求めてください。真実な心で、天をつかんでください。さらに進んで、皆さんと同じように大変な時間を過ごしている人のために祈ってください。イエス様に似て、ために生きる生活を実践するならば、神様は皆さんにより大きな愛と恩寵をくださるでしょう。

2009年は私たちの人生で最高の年になるでしょう

何日か前、私は世界の4大通信社の一つであるロイター通信の記者からインタビューを受けました。本部教会はまだ小さな規模ですが、世界平和統一聖殿(天福宮)のビジョンを持っているがゆえに、世界的な言論の注目を受けるようになったのです。2008年の一年間、私たちは統一教会の新しい可能性を発見することができました。

2008年を振り返ってみれば、皆さんにもたくさんのことがあったと思います。重要なことは、私たちがまだ息をしているということです。皆さんが昨年、夢に向かって前進し、これからも引き続き歩いていくことのできる固い決心と意志があるとするならば、皆さんは既に勝利者です。

多くの専門家が、2009年の状況はより困難になるだろうと語っています。皆さんもそのように考えますか?そのように信じますか?私は、神様が2009年、私たち全てにより大きな祝福をくださると確信しています。より多くの勝利と悟り、平和をくださると確信しています。2009年、私たちは決して敗北者の人生を生きることはしないでしょう。2009年、私たちは神様と真の父母様に、より大きな喜びと栄光をお返しするでしょう。皆さんがこのような祝福の心を持って2009年の一日一日を生きてくださるようお願いします。

神様の恩寵は驚くべき力を持っています。謙遜な心で神様の恩寵を懇切に求めれば、神様は皆さんの人生を祝福してくださるでしょう。さらに進んで、皆さんが受けた天の恩恵と恩寵を分かち合ってください。天はそのような皆さんの分かち合いを喜ばれるでしょうし、より大きな祝福をくださるでしょう。

2009年、皆さんと皆さんの家庭が神様と真の父母様の下でより多くの勝利、より多くの悟り、より多くの平和を得ることができるようにお祈りいたします。