亨進様 天一国食口礼拝 2008年12月14日
天一国食口礼拝 2008年12月14日 亨進様の説教 “私たちに恐れはない”(Daum Cafe MBUの掲載記事を翻訳、整理)

祝福の人生を生きる鍵

食口の皆さん!皆さんが祝福の人生を生きようと願うならば、恐れを克服する知恵を学ばなければなりません。私たちは人生において恐れるものがありません。強く大胆に人生を生きてください。

生きていれば、皆さんを恐怖に陥れ、敗北の道へと追いやるものと出会うことがあるでしょう。それは何かの状況や事件かも知れないし、卑劣な人や堕落した天使長(サタン)の邪悪な術数かも知れません。

ところで、もし皆さんが恐怖に深く入り込んでしまえば、神様が皆さんにくださった貴い潜在力を発揮することができないでしょう。皆さんの貴い夢と希望を成すことができないでしょう。子女である皆さんが絶望すれば、神様が傷つかれるでしょう。

食口の皆さん!いつも神様が皆さんと共にいらっしゃるということを忘れないでください。どんな苦難と試練も恐れないでください。神様が共にいらっしゃれば、“私たちに恐れはない”という強い信念を持ってください。これが正に祝福の人生を生きることができる鍵なのです。

世界経典の教え

今日の主題と関連した世界経典の教えを共に見てみることにしましょう。まずローマ人への手紙第8章31節のみ言を読みます。“もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。”

イスラームの経典であるコーランの第47章7節には、“信仰する者よ、あなたがたがアッラーに助力すれば、かれはあなたがたを助けられ、その足場を堅固にされる。(日本ムスリム協会発行「日亜対訳・注解 聖クルアーン」より)”とあります。

チベット仏教では、“いくら能力がなくて不足な人間だといっても、仏(偉大な存在)に依れば、大きく繁栄するだろう。一滴の水はとても小さくて取るに足らないものだが、それが湖の中に落ちて湖と一つになれば、枯れることがあるだろうか?【(Subhashita Ratna Nidhi)Treasury of Elegant Sayings 173】”

また、真のお父様はみ言選集の68巻131ページにおいて、このように語られています。“信仰の基準をどこに置かなければならないでしょうか?信仰の道は、無限な価値を中心として進む道であるため、漠然とこの世で人間が対することのできる、何かの相対的存在にその基準を置くのではありません。無限な価値の中心は神様であるため、信仰の道の中心は神様にならなければならないのです。”

このようなみ言は、絶対者であられる神様を人生の中心に迎える時、恐れるものは何もないということを共通に教えてくれています。

恐れる理由がない

“私は過去にとても悲惨な失敗を経験しました。もうこれ以上、夢を見ながら生きることはできません。”

過去の失敗によって恐れに陥らないでください。ヨセフは奴隷生活をし、罪もないのに監獄に入れられました。モーセは殺人を犯してしまいました。イエス様も犯罪者としての烙印を押され、十字架に架かって亡くなられました。しかし神様はヨセフ、モーセ、イエス様を通して驚くべき役事を見せてくださいました。

“もし一生懸命やっているのに、他の人があざわらい、妨害したらどうすればいいのですか?”

反対する人々ゆえに挫折しないでください。エルサレムを再建しようとしたネヘミヤは、周辺の宗族から嘲笑と反対を受けました。どんな苦難や試練にも、神様に対する絶対的な信仰を失わないようにしたヨブも、やはり友人から批判されました。神様の命令に従順だったノアは、家族からさえもそっぽを向かれました。

しかし彼らは嘲笑や反対にも屈せずに前進したため、聖書の歴史において偉大な人物として記録されたのです。

“もし努力したのに失敗してしまったら、どうすればいいのですか?”

恐れないでください。神様が私たちにくださった潜在力を実現することができる可能性を逃すことよりも、失敗の負担を抱えながらも挑戦することが、ずっと知恵深い選択です。

修行の三段階過程

仙佛教では、霊的な修行の道を歩むにあたって、三段階の過程を経るといいます。まず最初は、信じる段階です。信仰を持って修行の道を行かなければなりません。二番目は、疑心の段階です。疑心を克服し、真実な信仰を持つようになるのです。そして三番目は精進です。精進とは、力を尽くして修道の道を歩むことです。

信仰の道を歩みながら、神様の善なる性質、私たちの能力と才能、潜在力などに対する信仰を持たなければなりません。神様が私たちを成功させたがっているということを信じなければならないということです。そのような信仰を持って前進しなければならないということです。

しかし信仰的な基準がいくら絶対的で、確固としたものであっても、疑いの気持ちが生じる瞬間があります。神様が善なるお方だということを疑うようになるかも知れません。皆さんの能力と潜在力に対して疑いを持ったり、神様が皆さんにくださった夢を本当に成し遂げることができるのか、近づいてくる苦難や試練に打ち勝つことができるのか、疑いを持ってしまうかも知れません。

しかし皆さんが変わらない心で霊的な修行の道に精進すれば、疑心を越え、新しい次元の信仰の道へと入ることができるでしょう。神様や皆さん自身、そして教えに対するより大きくて強い信仰を得ることができるでしょう。

疑心を知恵深く使う方法

神様は皆さんに、何かを成し遂げて欲しいと願われるのですが、皆さん自身は、それをやり抜くことができないだろうだという疑いを持ってしまいます。多くの人はこのような疑心を認識すると、自責を始めます。しかし、決して自分を責めないでください。信仰の道を歩みながら疑心が生じることは、ある意味で言えばとても当然のことです。重要なことは、そのような疑心から抜け出し、引き続き目標に向かって進むことです。

問題は、このような疑心を放置し、皆さんの中で育んでしまうことです。そうすると、皆さんは恐れの中に陥ることになるでしょう。恐れが深くなると、私たちが持っている潜在力と可能性を発見することができません。恐れは私たちの現在と未来を奪っていってしまうのです。

しかし疑心を知恵深く使うならば、霊的な修行に大きな助けとなるでしょう。疑心によって皆さんはより一層修行を頑張らなければならないという切迫感を感じることもできるでしょう。また、本当の信仰を発見することもできるでしょう。そしてより大きな悟りと経験をすることができるでしょう。

より強く、大胆であれ

牧会を始めながら、私も自らに対して数え切れないくらい疑心を抱きました。私の信仰、私の能力と潜在力、リーダーとしての力量に対して、疑いを持ちました。真の父母様が私に期待されることを成し遂げて差し上げられるだろうか、疑いました。

しかし牧会生活を続けながら一つ、貴重な悟りを得ることができました。それは謙遜な心で精進し続ければ、必ず道が開けるということです。神様が門を開けてくださるのです。神様は私に必ず必要な人を送ってくださいました。神様は困難に打ち勝たせてくださり、勝利することができるチャンスをくださいました。

皆さん、疑心に負けないでください。疑いの気持ちは、信仰を弱め、傷つきやすくさせてしまいます。信仰が弱い人は簡単に世俗化されてしまうでしょうし、どんなことをしても簡単にあきらめてしまうでしょう。

しかし疑いと恐れを投げかけてくる脅威に打ち勝った時、皆さんの信仰はより強められるでしょう。皆さんの人格はより成熟するでしょうし、皆さんの潜在力はより実体化するでしょう。皆さんが一人で全ての荷を負っていると思わないでください。皆さんが全てのことをする必要はありません。

私が世界会長に任命された時、お父様は私にこのように話してくださいました。“あまり心配するな。多くの人があなたを助けてくれるだろう。”

これはどういう意味でしょうか?それは、“恐れるな。神様が道を開いてくださるだろう。あなたに与えられた才能を大切にし、あなたがすることができることをしなさい。後は神様が満たしてくださる”ということだと思うのです。

先に苦労され、準備された神様

私たちが行かなければならない道のために、神様がまず動かれ、準備をされておかれました。私たちが認識していようといまいと、神様は95%の責任分担を果たしていらっしゃいます。私たちは自らに与えられた5%の責任分担のみを完遂すればよいのです。

先週の火曜日、私は中央日報、東亞日報、朝鮮日報、連合ニュース、世界日報など、11名の記者たちと午餐会を共にしました。記者たちは皆、知識人たちでした。宗教についての知識も多く持っていました。とても愉快で、楽しい時間となりました。

私のその日の会合を、2008年を送り、2009年を迎えるにあたっての挨拶を交わす時間だと思っていました。しかしその翌日、中央日報、東亞日報、連合ニュース、文化日報などに、その日の記者懇談会に対する良い記事が載せられるということが伝えられました。私はとても感謝しました。

その日の夜、私は一人一人の記者に電話をし、感謝の思いを伝えました。“統一家のためにそれほどまでに良い記事を書いてくれて、ありがとうございます。次の機会に、お茶をご馳走させてください”と。電話をしてみると、記者の方たちとより近くなったような気がしました。

私にはこれら全てのことが、神様によって計画され、準備された出来事だということが分かりました。振り返ってみれば、神様は私といつも一緒にいてくださいました。10年前、榮進兄が昇華した後に私が仏教とカトリックの伝統を勉強したこと、神父とお坊さんと交流したこと、瞑想をしながら霊的な修行の道を歩んだこと、多彩な言語を勉強したことなど、全てのことは神様が‘今日の文亨進’を作り上げるために私に準備させたものでした。私の人生の中における神様の温かい御手と導きを感じることができました。

釈迦の手のひらと孫悟空

西遊記に出てくる孫悟空は、本当に偉大な能力を持っていました。また、一度に10万8千里を駆けることができる金団運(きんとんうん)や如意棒を持っていたのです。しかしそのような孫悟空が自分の能力を全て発揮しても、決して釈迦の手のひらから抜け出すことはできませんでした。

彼は結局、自分がいくら偉大な能力を持っていたとしても、釈迦がより大きな恩賜と能力で彼を助け、保護しているということを悟ることができました。彼は“私がいくら遠くに飛んでいったとしても、お釈迦様の手のひらの中なんだなぁ”と、告白しました。

私たちの人生も同じです。神様が私たちを導いていらっしゃいます。自分が本当に大きなことをすると思っても、私たちは神様の手のひらの中にいるのです。神様の計画の中で全てのことが成されているのです。

統一教会の変化と天福宮摂理

21万人世界平和統一聖殿、天福宮摂理のために働く過程において、私たちは時に疑いと恐れを感じるかも知れません。“社会が私たちの御旨を理解できずに攻撃したらどうしようか?”、“聖殿建築に失敗したらどうしようか?”などの思いが、音もなく近づいてくる時があります。

私はこのような堕落した天使長(サタン)の試験を感じる度に、私が牧会を始めてから今まで、神様がどれほど多くのものを成すことができるようにしてくださったかを思います。1年という短い時間でしたが、教会は変わりました。

統一教会の文化はより公正になり、透明になってきています。選挙を通して指導者を選出しました。短い教会の歴史上、世界的な基盤を築いた統一教会人として自負心と誇りを再び見つけているのです。

何年か前を考えてみてください。多くの人が、統一教会にはこれ以上希望がない、すぐ倒れてしまうだろうと言っていました。教会に対する言論界の否定的な認識は決して変えられないだろうと思われていました。しかし、今韓国の言論界は180度変わりました。

また誰も、大統領が統一教会の礼拝に参加するという役事が起きるとは思いませんでした。しかし皆さんもご存知のように、去る10月、コスタリカの元大統領が礼拝に参加し、説教をしました。そして驚かないでください。来年には、アメリカの有名な議員が、本部教会の礼拝に参加する予定です。

誰も、教会のリーダーシップに変化が起こるとは思いませんでした。しかしお父様は、真の家庭の子女たちを教会の指導者として立てられました。

誰も統一教会が主流宗教になり、国を動かす日が来るだろうとは考えませんでした。しかし見てください。統一教会が推進している世界平和統一聖殿に対する噂が広まっています。私たちが会う政治家、経済人、言論人たちは、世界平和統一聖殿に対して大きな関心を持っており、より詳細で具体的な内容を知りたがっています。一歩一歩、私たちは不可能だと思えたことを成し遂げているのです。

今日の教訓

食口の皆さん!私たちは今日、何を学ぶことができましたか?人生を生きながら、恐れを感じる瞬間に出会うでしょう。堕落した天使長(サタン)は皆さんが勝利的な人生を生き、偉大なことを成し遂げることを恐れています。そのため、何があっても皆さんをあきらめさせるようにしたがるのです。しかしもし皆さんがあきらめてしまえば、神様が皆さんのために準備した祝福の人生を生きることはできないでしょう。神様を悲しませてしまうでしょう。

皆さんが目標に向かう道のりでどんな恐れを感じたとしても、絶対に自分を責めないでください。ある意味では、疑心と恐れが生じるのは自然な過程だと言えるかも知れません。重要なことは、あきらめずに努力することです。いつか疑心と恐れに打ち勝ち、より強くて成熟した信仰を持つことができるでしょう。

食口の皆さん!神様の前に出た時、恥ずかしくないかどうか、自問してみてください。神様は皆さんが神様の子女として恐れのない人生を生きることを願っています。自負心と誇りを持って生きることを願っています。私たちは神様の創造理想を成して差し上げ、神様に喜びと栄光をお返しすることができなければなりません。

世界平和統一聖殿、天福宮に向かっていく途上において、より強く、屈強な信仰を持ってください。疑いの思いが浮かぶならば、目標に向かってより激しく前進してください。神様が私たちと共にいらっしゃいます。私たちに恐れはありません。神様は疑いと恐れを越え、勝利した私たちを温かく迎えてくださるでしょう。

人生において恐れを克服する知恵を持ち、大胆に進んでいけばより多くの勝利、より多くの悟り、より多くの平和を得ることができるでしょう。祝福の人生を生き、世界に祝福を伝えることができる、貴い天の子女になるでしょう。